~プロフィール~
福岡出身。現在38歳。
2010年 大阪のシステムインテグレータに就職。
2020年2月22日に倒れ、高次脳機能障害に。
失語症・失行・注意障害・記憶障害など。
身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。
麻痺の為、杖持ち。
妻と小3長男・小1次男の4人暮らし。
今年6月末まで休職中。
こんにちは。
昨日3月10日に、K病院に行った。
先週の続きといえる内容だ。
このブログ記事を投稿した後、何度も訂正した。
自分の病気が何だったのか、自分では今でもさっぱり分かっていなかった。
K病院は、私の家からは結構遠い。私が会社帰りに倒れて、救急車で運ばれた病院だった。
今回は、おそらく最後の診察になるだろう。
待合室で私の順番を待っていた。
このブログでも何度も書いているが、私が倒れた原因は分からない。
妻は、その私の状態について、寝不足や疲れによって起きるタイプのてんかんではないかだろうかと言った。
確かに、倒れる数年前からの私は、よく酔っぱらって、意識を失っていた。
まぁ、サラリーマンによくあるエピソードだ。
妻は、そういったときに意識を失ったまま、道を徘徊したりしていたのではないかと言われた。
もちろん、確かる方法はないだろうし、きっと不可能だろう。
私としては、違う気がする。
結構頑張っているつもりではあったが、倒れるほど働いたようなつもりも、まったくない。
私は、少しムキになって否定した。
私の脳波の問題など、てんかんの理由をこの病院の主治医に聞こうと思った。
てんかんは、何かの私の精神的な問題があるからではないのかと思っていた。それを治さないと、“普通”ではないのだろうと思っていた。
だが、それを妻に言うと、ここは急性期病院なので、調べてはいないだろうと言われた。
実際に、私が倒れたのは事実だ。
その倒れ方は、まさにてんかん発作のような倒れ方だった(らしい)。
2年半前に、警察に行って私が倒れたインターネットカフェの監視カメラビデオを見せてもらった。
私が通路を立っていたときに、膝を垂直に立たせたまま倒れた。まさにてんかんのような倒れ方だったそうだ。
倒れた直後、すぐに立ち上がって周りの人に「大丈夫です」と言ったそうだ。
だが、そのあと何度も倒れ、最終的にトイレ個室に入って、出てこなかった。
ちなみに、この録画ビデオについても、警察で見せてもらったのに、視野狭窄で見れなかったのか、気持ち的に覚えたくなかったのか、全然見たビデオの様子を覚えていない。
そんなことを考えている最中、主治医がドアを開けて私の名前を呼んだ。
主治医は、感染の兆候もなく、新しい出血などもなさそうなので、ここでひと段落だと言ってくれた。
私は、主治医の心配していた今後の病院のことを伝えた。今月から自宅最寄りの脳外科病院に抗てんかん薬などの相談に行くことになったし、去年秋から行っていた高次脳機能障害のクリニックに定期的に通う。
主治医は安心してくれて、こう言ってくれた。
どこまで “できる” or “できない” か、自分たちで考えて続けてくださいね。
通院だけではなく、長期的にリハビリや筋トレなどを続けてください。
それから、“疲労”・“過労”・“睡眠不足”が続くと、この薬を飲んでいても、けいれん発作は起きるときは起きますよ。
気を付けてくださいね。
後遺症が残っていることは、間違いありませんよね。
あとはそれに対して、どのように付き合っていくかです。
過信していれば、能力は離れていきます。
自分の身体に愛情を注いであげて、リハビリを続けてあげることが重要です。
ほったらかしにしていてはダメですよ。
本当に、いい先生に手術・診察をしていただいた。
まぁ、考えてみれば、妻が言っていた内容も、それに近い。
それに気付かないのは、私の高次脳機能障害なのだろうか。
今後はもう、この病院には来ないだろう。
折角だから、書いておく。
K病院と書いているのは、『北野病院』。
お世話になり始めて、かれこれ3年を過ぎた。
そこの2階には、ドトールコーヒーが営業している。
会計が終わるのを待つため、いつものように妻と一緒にミラノサンドを食べた。
食事中、診察が始まったため妻が言えなかった内容を教えてくれた。
私のてんかん発作は、倒れたその日が最初ではなく、元々あったことだったのかも知れないということ。
私はその兆候をまったく感じたことがない。普通に仕事をして、普通に生活をしていた。
だが、妻の考えとしては、それを覚えていないこと自体が、てんかんの症状だったのかも知れないと。
少しびっくりしたが、確かにそもそも、私が倒れた原因も分からない。
それを考えれば、今後てんかん発作が起きないという保障は、一切どこにも無い。
だから、私が何を悩もうが、抗てんかん薬は必ず飲まなければならない。
私が考えていたのは、抗てんかん薬を飲むことが、生き物としての欠点だと感じていたのだろう。自分一人では生きられない欠陥品にはなりたくないと。
その考え方が間違っていることを、ようやく理解した。
加えて、私が倒れたのがこの辺りであったことにも、幸運さを感じた。
この病院は、かなりの優秀なお医者がいる。もし家で倒れていたら、死んでいたかもしれない。
この主治医の言葉も、普通のお医者さんからは受け取れないだろう。
リハビリ士さんからも、とても優れたリハビリを行っていただいた。
ありがとうございました、北野病院&主治医さん。