~プロフィール~

福岡出身。現在38

2010大阪システムインテグレータ就職。

2020222倒れ、高次脳機能障害に。

失語症・失行・注意障害・記憶障害など。

身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。

麻痺の為、杖持ち。

 

妻と小3長男・小1次男の4人暮らし。

今年6月末まで休職中。

 

こんにちは。

 

私が倒れて障害者になったのは、自宅から18kmほど離れたネットカフェだった。

簡単にいうと、好き放題して、一人勝手に倒れた。


そんな経過によって、私が入院していたK病院は、かなりの都会だった。


今回は、私の家の最寄りにある、脳外科のT病院に行った。

私の薬をもらうためだが、そもそもこれまでのK病院の主治医は、かかりつけ医を見つけろと言ってくれていた。

そのかかりつけ医に、今回会う。
 

 

 

 

T病院の受付で、薬をほしいことを伝えて待っていた。


すると、これまで行っていたK病院との雰囲気の違いに気づいた。

 

この3年間お世話になったK病院と比べると、高齢の人が多い。
私が倒れたのは、大阪市の中心拠点だった。具体的なメリット事例は知らないが、その有難みがあったのかも知れない。

 

医師の学歴も違うようだ。

これまでK病院で私の手術を担当してくれた主治医は、京都大学卒だった。

今回T病院で担当してくれるのは、大阪医科大学卒。

なんとなく違いがあるような気がする。まぁ、九州工業大学卒の私が、エラそうに云える話では決してないが。



実は私は、昨年11月から、抗てんかん薬を飲まないようにしていた。

こんなことを云うと、医師たちは匙を投げるかも知れない。

 

私は、昨年秋にネットで調べていると、てんかん発作は2年間起こらなければ、その後の発作は確率が低くなると書いてあった。

それなら、私は障害者になって3年も過ぎたのだから、抗てんかん薬を飲む必要はないのではないだろうか。

 

この抗てんかん薬について、私が飲まなければならないという説明に、信用がなかった。

何故ならば、私にはてんかん発作が一度もないと思っていた。それなのに、意味の分からない服薬を強いられていると思っていた。

 

だから、妻にも誰にも言わず、勝手に飲むのを止めていた。

今現在も、妻には言っていない。薬を飲まなくなったのが、昨年11月から。

 

正直、私はてんかんが無いと思っていたというわけではなく、こんな身体になってしまったことそのものだ不満だった。

もしこの先にてんかん発作が起こったとしても仕方ない、そういう身体になってしまったのだから、薬で治したいということ自体に不満があった。

 

もし私にてんかんが実在したら、発作の発生度が高くなるだろうと思ってはいた。

それなのに、無視した。

 

だから、私が薬を飲んでいないことは、誰にも言わなかった。

 

 

 

結局、昨年末にK病院の主治医から診察を受けたときに言われた。

2020年早春、私の意識も釈然としない中、てんかん発作が一度だけ起きたそうだ。

 

あとから調べてみると、てんかん発作は様々なことを総括的に調べないと、簡単には判断できないようだ。

少なくとも、脳波を調べる必要があるようだが、おそらくすでに調べたなんてこともないだろう。

加えて、単に2年間発作がなかったからといって、薬を飲まなくてもいいなどという簡単な基準ではないのだろう。

 

さらに、今年1月になってもまだ抗てんかん薬を飲まずにいると、ソワソワ感が出始めた。

そのソワソワ感が、てんかんと関係あるのかは分からない。だが、今後私にてんかん発作が起こる可能性は、ゼロではないのだろう。

 

実は、以前このK病院の主治医からは、抗てんかん薬については一生飲まないといけないと言われていた。

それを私は勝手に無視してしまった。

 

やはり、勝手に判断してはいけないのだと思い知った。

 

このことで知ったのだが、薬は自分ではまったく必要性を感じなくても、体調に異変があるかないかなど関係なく、まずは飲むことを前提としなければならない。

ただ風邪薬を飲まないなどといったことは、まったく違う。

 

抗てんかん薬を、再び飲み始めた。

しばらくしたら、このT病院の先生に、薬の減らし方を聞こうかと思う。

 

 

ちなみに、この薬を始めてもらっていたのは、“イーケプラ”という内服薬だった。

ジェネリック医薬品として、“レベチラセタム”という薬があることを知って、薬屋ではこのレベチラセタムを頼んでいる。

 

 

 

実は最近、ネガティブというか、否定的な気分になる時間が多い。

理由は分かっている。コロナ感染の影響で、ちょっとしたことでイライラしてしまう。

 

そのことは分かっていても、どうしてもイライラする。

可愛い息子にも、そのイライラ感を出してしまう。

 

これこそ、人間の制御の出来なさと云えるだろう。

 

さらに、このコロナでしばらく寝ていたせいで、体力も落ちた。

こんなに歩くのが下手だったかと思ったが、障害者になってからそんなにキレイに歩けていたわけでもない。

 

 


この頃になってから初めて気付いたようになったように感じるのだが、私の頭が悪くなったということは、これまでの知識は大幅に減ってしまったということだ。これまでは、そんなにバカではないと思っていた気がする。

どれくらいかというと、“障害者”という言葉をようやく実感し始めたということ。

 

今回、脳外科医の診断を受けた。

私は、知能指数IQも低くはなったが、その先生になんとか言った。

 

「あの、今回はK病院からこのT病院への紹介状をもらっていないんですが、やっぱりもらわなきゃいけませんよね?」
先生からは、

「え? そうですね、まぁ書くべきですよね。お願いしますね」

と言われた。

 

帰り道、

「やっぱりそうだよな、紹介状は当たり前だよな。忘れてたな」

と反省して、LINEで妻に知らせると、

「元々2年半前に紹介状もらったんだから、それだけでいいんだよ」

と叱られた。

 

 

 

 

実は、この3月5日に書いたブログ記事も、何度も訂正している。

今書き直しているのは、8日。つまり当初から3日後。

読んでくれた方たちがコメントをしてくれていたが、そこで私が色々と忘れていることを思い出した。

 

例えば、抗てんかん薬は医師の指導によってその通りに飲むものであって、勝手な対処は何の意味も無い。

それなのに、勝手なことをしていることを覚えているのか覚えていないのかも自分で分からない状態で行動する。

これこそ高次脳機能障害の症状だ。

 

このレベルは、私生活だったら問題なくても、仕事をし始めるとハッキリ問題になるのではないだろうか。

改めて憂鬱な気持ちになった。