こんにちは。
37歳、サラリーマン、絶賛休職中。
この記事は、昨日のこちらの続き。
私は、書こうとする文字が書けないことがある。
これが、『失行』の一部だとは分かっていた。
『失語症』とは違う、高次脳機能障害だ。
私の場合は、こんな感じ。
- 知っている字を書こうとするのに、指がそっちに動かない。
例えば、「太」。縦・横の書き方・動かし方が、“何故か”分からない。
(私の名前だと思い出すことで、ようやく書けた) - 友達の名前を書こうとするのだが、失語症で読み方が分からない。
だが、字の形は分かっていて、それをノートに書こうとするのだが、それも書けない。
必死になって書けたら、読み方が分かる。 - 書こうとするカッコ(「」『』【】)などの書き方が分からないときがある。
パソコンだと、キーボードに、「」、『』、【】などが書いてあるので割と問題になりにくいのだが、スマートフォンでは文字で「かっこ」と書くことで出てくる。これを高次脳機能障害によって忘れていたりする。
鉛筆で書くのも難しい。“「”では、どこでどう手を動かせばいいのか分からなくなる。形は分かっていても、指が動かない。
脳の心底に思い出せれば、書けるようになる。
(まぁ、物理的に脳幹に近いわけではないと思うが)
これは、本当に云い様の無い、不思議な感覚だ。
私だって、今の高次脳機能障害になるまでは、全く知らなかった世界だ。
まぁ、出来ることが増えた訳でもないのだが。
最近、もっと色々なことが『失行』なのかも知れないと気付いてきた。
- (右手が多いと思うが)自分の触ろうとした身体の箇所が、狙った部分から外れす。
例えば、肩を触ろうとして、腰を触ったりする。間違っていることは分かる。
- ラジオ体操第一をするときに、意味の分からないタイミングで、どう手を動かしたらいいのか分からなくなる。
混乱する。
- 洗濯物を干すときに、洗濯ばさみに上手く掛けられない。
- 2つ以上の物を手に持っていて、どれをどう動かすのが良いとかが分からない。
例えば、杖を持って、コーヒーを買い、エスカレーターに乗っていると、事故になりそうでドキドキする。
手はまぁ普通に動くが、手をどう動かしたらいいのかが分からなくなる。
- ブログを書こうとして、その書こうとする人物が、自分のことなのか、家族のことなのか、少し考えないと分からない。
- これをしよう、と思ってその直後、何をしようとしたのかを忘れ、忘れたことだけは覚えている。
ちょっとだけ違うが、こんなこともある。
就労移行(学校みたいなところ)で、“マナー”の説明を聞いた後に、授業がパソコンで“書き写す” 内容に変わり、その直前に“声”を聴いていたのか、何かを“記述”していたのか、それをしているのが“自分”なのか“先生”だったのかも分からなくなる。
- 自分の(麻痺の)身体がどうだったのかが分からなくなる。
例えば、なにか不都合があったような気はするが、それが痛かったのか、寒かったのか、そもそも身体のどこのことなのかも全然分からなくなる。
“ジンジン”、“キンキン”、“ガンガン”などのどれだったも分からない。
さらに、先日理学療法士(PT)さんに、「この一年間では、ストレッチで痛みなどは無いんですか?」と聞かれて、私は全然分かっていないことに気付いた。
色々と書いてしまったが、これが全部『失行』なのかは、よく分からない。
脳障害の医師が聞いたら分かることもあるかもしれないが、医師全員が同じとも限らない。
この種の問題の“違い”は、高次脳機能障害の“名前”で区別することは難しいのかもしれない。
『失語症』という名前も、『ウェルニッケ失語』と『ブローカ失語』で、脳の障害部分が全然違う。
要は、言葉として理解しやすいので同じ『失語症』という名前になっているだけなのだと思う。
私には、すごく生活に苦労があるのだが、私の障害者等級は3級。
国からの補償は、私にはほとんど無い。
一人で問題なく移動できるのであれば、IQ知能指数が低くても障害等級は上がらないと思う。
就労移行も、毎日のように自分が何故そんなことをしているのか分からなくなる。
これまでは、仕事を頭を使ってこなすことが大好きだった。
今はそういう、“お金を回す仕事”ではないし、以前仕事をしていたときの“業務研修”とも全然違う。
でも、天の神様の声だと思おう。
私の為に、私の障害の補償が少ないのだと思おう。
(宗教などは全く興味ないけど)
一応、一人で生きられるからだ。
だから、就労移行支援に行っているし、来年は10年間近く勤めた会社に復職する予定になっている。
私は、外を一人で移動したいし、写真も撮りたい。
それは、私がたまたま以前にやっていたからできていることであって、元々したことが無ければ、きっと無理だっただろうし、写真のことなど考えなかっただろう。
眼も、これだけ見えないのに、右眼の一部は問題なく見えるので、一眼レフで撮れる。
神様が与えてくれた訓練なのだろう。
ワーカホリック(仕事中毒)の私に与えてくれた障害だ。
そう思おう。
今日、YouTubeで『失語症の日』の動画を観ていると、なんだか楽しくなってきた。
公開は2022年5月22日まで
ツラいのは、私だけではない。
同じ失語症の人で集まれると、こんな良いことがあるのか。
声で共有できる今の時代は、本当に有り難いと思う。
ツラいことだけではなく、それよりも、前を向いて生きていこう。