渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -99ページ目

参加者リスト

東京にとどまらず、今週末には静岡へ講師の仕事。

参加者リストを、受け取りに行く。


東京に来ていないということは、ほとんどは学生さんか兼業のかた。

または、新しいことに挑戦したい! という好奇心旺盛なひとびと。


演技は面白い。


人間の本能に直結しているから。


それは、たんに感情をあつかうからではなく、ひとに認められたい、じぶんを好きになりたい、という当たり前の心に基(もと)づいている。

それには何が必要か。


じぶんを知ること。


それは、けっして難しいことではない。


息を吸って、吐く。

重心を前にあずけて、前進する。

話したいときに、話す。

嬉しいときに、笑う。

触りたいときに、触る。


たしかにこのままでは、社会生活において、トラブルの元になることもしばしば(!)。

しかし、はじめからそれをなかったことにすると、いつしかじぶんのことがわからなくなる。

じぶんのこころが決める前に、まわりに固められてしまったひとは、得てしてそうした状態に置かれている。


そして本人も、まったくその問題に気づいていない。


同じことをするにも、いちど疑って承知してしているのとは、その価値がまるで変わってくる。


ぼくは初心者のころ、即興的ないろいろなことが恥ずかしかった。

だから、最初からままごとのように楽しめるひとを、ひじょうにうらやましく思う。

それは、その世界に没頭する能力のあるひと。


ぼくのように恥ずかしがり屋で始まっても、問題ないと思う。

それも、演技では大切な要素。

すくなくとも駅前において、大きな声で歌わせるようなことをぼくはしないから。

わかりそうなもんだが。

だれかが指導者として、嫌われてでも正しい方向へ導く! としても。

べつに嫌われればいい、ってもんじゃない。


だれかが少数派になってでも、信念を抱き続ける! としても。

べつに少数派でいることに価値がある、わけじゃない。



これって、そんなに難しい違いなのかな。。。


むしろかれらの横暴さ、臆病さの免罪符に使われている気がする。

映画『連鎖(れんさ)』

連鎖フライヤー

映画『連鎖(れんさ)』
※予告編も見られます。

監督:  高橋コウジ
出演:
雨宮 翔・宮本京佳・長森 雅人・石田 クニヒト・愛葉るび・渡部遼介 ほか

STORY

夜。真夏の集中豪雨。東京湾に一体の猟奇死体があがる。いや”一体”というのは正確ではない。 頭部は男性、しかし首から下は女性。それは二人の男女を縫いつけた両性具有の合成死体だった。

死体の顔面にはナイフで刻まれた横道十二宮獅子宮(しし座)のシンボルが、裸体の腹部に磨羯宮(やぎ座)のシンボル、そして臀部に縫いつけられた蛇の屍骸。

現場に駆けつけた刑事の一人が言った。

「……キメラ」

それは頭が獅子、体が雌山羊、蛇の尾を持つギリシア神話の怪物キマイラを連想させ”キメラ殺人事件”と呼ばれた。