自分自身を消す。
もし僕が出演している作品に出会ったら、できれば渡部遼介ということを忘れて、作品の中の自分を観て欲しいと思っています。
なぜなら自分の情報で、登場人物を濁したくないから。それは自分が観客のときにも、いつでも感じることです。
誰がどういうゴシップに巻き込まれているとか、普段はこんな人だとか。実は家庭は今こうで、こういう噂があるとか。
そんなことは関係がない。むしろ世界を味わう感性を阻害する。作中の登場人物は非常にデリケートなので、もしそういうのがあればすぐに吹き飛んでしまいます。結果、俳優自身が俳優自身のまま、そのキャラクターを説明しなければならなくなるのです。
人間であること。
キャラクターを作っていて一番難しいのは、彼自身の良さを見つけられないとき。主人公であれば、ストーリーであれ脇役であれ、影響を受ける環境が揃っている。その中で人間的な部分が垣間見えれば、その可能性は十分にあるだろう。
主役以外だっていつでも空気のような存在ではない。しかし映画が主人公を追うことを決めた以上、周囲の登場人物がバランスを想定することは重要だ。歯車が回っているときの油のような存在。