渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -369ページ目

自分自身を消す。

もし僕が出演している作品に出会ったら、できれば渡部遼介ということを忘れて、作品の中の自分を観て欲しいと思っています。

なぜなら自分の情報で、登場人物を濁したくないから。それは自分が観客のときにも、いつでも感じることです。


誰がどういうゴシップに巻き込まれているとか、普段はこんな人だとか。実は家庭は今こうで、こういう噂があるとか。


そんなことは関係がない。むしろ世界を味わう感性を阻害する。作中の登場人物は非常にデリケートなので、もしそういうのがあればすぐに吹き飛んでしまいます。結果、俳優自身が俳優自身のまま、そのキャラクターを説明しなければならなくなるのです。

意外と好き。

現在撮影中のその作品は、ゆるいほんわかした作品。監督はスタッフに雰囲気を伝えることにこだわって、今回脚本を手作りした。フォントも句読点も、表紙の色やイラストまで意味があるのだろう。

人間であること。

キャラクターを作っていて一番難しいのは、彼自身の良さを見つけられないとき。主人公であれば、ストーリーであれ脇役であれ、影響を受ける環境が揃っている。その中で人間的な部分が垣間見えれば、その可能性は十分にあるだろう。


主役以外だっていつでも空気のような存在ではない。しかし映画が主人公を追うことを決めた以上、周囲の登場人物がバランスを想定することは重要だ。歯車が回っているときの油のような存在。