WS(ワークショップ)講師
WS(ワークショップ)に参加。それも講師として!
逆説的だが正直、今まで出会った演劇講師のほとんどにぼくは共感できなかった。監督や演出家も含め、何十人と出会ったはずだが、波長が合ったのは仲井真嘉子さんとか、本当に微々たるものだ。
ちなみに当時、金のなかった僕は、仲井真さんの有料スタジオを見学と称(しょう)し何度も何度も足を運んでいた。しまいには怒られてしまったが。。。当たり前だ。まぁ、その話はまた別の機会に。
もちろん俳優という職業が文化的に認められた国ではトレーナーもそれに見合うだけのスキルが鍛えられるのだろう。多くの経験からそれを実感したので、ひとことで説明するすべはない。
が、多くのトレーナーに出逢えば、おのずと判別がつくのだと思う。要はそれだけ難しいのだ。
クリエイターはその職種を問わず、相手から価値がないと見られれば一瞬にして存在意義を失(うしな)う。と同時に、世界中の多種多様な人間を全員納得させることはほとんど不可能だ。
だからどんなに評価されていても、どんな実績があっても目の前でじぶんをさらけ出すのはリスクを伴(ともな)う。むしろベテランであるほどそうなのかもしれない。
答えのない、そしてほかの道具のせいにもできない、今までの作品や実績を提示するだけではすまされない時間。それらを味わえるのはじつにエキサイティングだった。
逆説的だが正直、今まで出会った演劇講師のほとんどにぼくは共感できなかった。監督や演出家も含め、何十人と出会ったはずだが、波長が合ったのは仲井真嘉子さんとか、本当に微々たるものだ。
ちなみに当時、金のなかった僕は、仲井真さんの有料スタジオを見学と称(しょう)し何度も何度も足を運んでいた。しまいには怒られてしまったが。。。当たり前だ。まぁ、その話はまた別の機会に。
もちろん俳優という職業が文化的に認められた国ではトレーナーもそれに見合うだけのスキルが鍛えられるのだろう。多くの経験からそれを実感したので、ひとことで説明するすべはない。
が、多くのトレーナーに出逢えば、おのずと判別がつくのだと思う。要はそれだけ難しいのだ。
クリエイターはその職種を問わず、相手から価値がないと見られれば一瞬にして存在意義を失(うしな)う。と同時に、世界中の多種多様な人間を全員納得させることはほとんど不可能だ。
だからどんなに評価されていても、どんな実績があっても目の前でじぶんをさらけ出すのはリスクを伴(ともな)う。むしろベテランであるほどそうなのかもしれない。
答えのない、そしてほかの道具のせいにもできない、今までの作品や実績を提示するだけではすまされない時間。それらを味わえるのはじつにエキサイティングだった。
透明感のある女優
男優よりも女優をキャスティングをする場合に掲げられることが多いように感じます。
そしてたぶん、もっとも困難な条件のひとつです。
なぜスタッフは女優に透明感を求めるのでしょう。
ぼくもそうですが、監督でも脚本家でも現場は男性が多い。男性がメインになる作品が多い。女性は守られるべき存在。それ自体が男性の存在意義のひとつですから、解からなくもない。
たしかにこうした傾向を好まない女優陣も少なくありませんが、多少偏(かたよ)った見方をすれば、こんな背景があるのかもしれません。
ただ性別によらず、表現者はみな何か表現することを欲している訳ですから、身体中からそのオーラがにじみ出ています。
そのほかにも、他人に愛されたい、評価して欲しい、自信のなさを覆(くつがえ)したい、空っぽなじぶんを埋めたい。いろんな気持ちがあります。
それらを隠してさりげ なく立てる、というのは、じつはもうひとつ上の包容力(ほうようりょく)が大切です。
さらに、それを育てるには、たんに欲求の少ない女優と混同しない観客の目も不可欠なのです。
このようにシンプルにひとびとから愛される女性として画面に映るのは、けっして簡単なことではありません。
これらについて、ぼくも非常に興味がありかつひとつの答えを持っていますが、これからもいろんな方々のイメージを聞いていきたいですね。
そしてたぶん、もっとも困難な条件のひとつです。
なぜスタッフは女優に透明感を求めるのでしょう。
ぼくもそうですが、監督でも脚本家でも現場は男性が多い。男性がメインになる作品が多い。女性は守られるべき存在。それ自体が男性の存在意義のひとつですから、解からなくもない。
たしかにこうした傾向を好まない女優陣も少なくありませんが、多少偏(かたよ)った見方をすれば、こんな背景があるのかもしれません。
ただ性別によらず、表現者はみな何か表現することを欲している訳ですから、身体中からそのオーラがにじみ出ています。
そのほかにも、他人に愛されたい、評価して欲しい、自信のなさを覆(くつがえ)したい、空っぽなじぶんを埋めたい。いろんな気持ちがあります。
それらを隠してさりげ なく立てる、というのは、じつはもうひとつ上の包容力(ほうようりょく)が大切です。
さらに、それを育てるには、たんに欲求の少ない女優と混同しない観客の目も不可欠なのです。
このようにシンプルにひとびとから愛される女性として画面に映るのは、けっして簡単なことではありません。
これらについて、ぼくも非常に興味がありかつひとつの答えを持っていますが、これからもいろんな方々のイメージを聞いていきたいですね。
映画『Give and GO』 特別先行上映
六本木の単館といえど想像とは異なり、ビル自体がシネコンになっていて常時複数の上映が行われています。ちょうど橋本愛ちゃんの出世作「告白」も別の階で上映されていました。
その中で撮影が終わってからもう1年が経(た)とうとしているせいか、わりと客観的に観ているじぶんがいました。ぼくは主人公の父親ですが、現実には子供がいません。そこで当時ある研究をしたのを思い出します。
つまり母親のいない親子がどのような関係を持つかです。とくに父親がひとりで360°くまなくサポートしようとすれば、言うまでもなくじぶんを中心にしているひまはない。ところが息のつけない娘はかならずどこかのすき間をみつけ、水上へ呼吸をしに現れます。
それを父親自身が許容できるのか。やがて、そんなところに行き着きました。
ところで本作はじぶんを棚にあげても、キャスティングが素晴らしいと思います。ぼくたちは余計なものに惑わされず、選ばれることはほとんどありません。そうしたしがらみの少ない今回はとくに子役の選び方に特筆(とくひつ)すべきものがあります。
主人公の愛ちゃんは天性のなにかを持っています。ふつうは初めてカメラの前に立つときには、なんらかの不安を抱くもの。なのに彼女は本当に自分自身の感性を信じられている。そして周りがそれらを許容する懐(ふところ)があった。
それが顔芝居に頼らず、芯で表現できている結果につながっています。また脚本も読めているので、よけいなことをする必要がない。
相方の斎藤亜美ちゃんは逆にキャリアもあり、より難しいポジションで存在感を発揮しています。そしてなにより大切なのは、愛されるべきキャラクターであることです。彼女は素のネガティブな感性が隠しきれずににじみ出ています。繊細なのだと思います。
それを覆(おお)うような明るい振る舞いにぼくは胸を打たれました。
そして最後にシンプルなシナリオに飽きさせないテンポの良さ。ぼくらは数多くの映画を観ているので、たいていは最後まで座っていられません。
でも本当はこの映画のように、斬新なトリックでなくてもよいから、いつの間にか引き込まれる作品の魅力が不可欠なのだと思います。
自主映画や低予算にありがちな変なマニアックさや過激さもなく、監督の優しい目線も良い方向に転がり、多くの動員を期待できるタイプだと感じました。次回、上映するときはぜひ観て欲しい作品です。
その中で撮影が終わってからもう1年が経(た)とうとしているせいか、わりと客観的に観ているじぶんがいました。ぼくは主人公の父親ですが、現実には子供がいません。そこで当時ある研究をしたのを思い出します。
つまり母親のいない親子がどのような関係を持つかです。とくに父親がひとりで360°くまなくサポートしようとすれば、言うまでもなくじぶんを中心にしているひまはない。ところが息のつけない娘はかならずどこかのすき間をみつけ、水上へ呼吸をしに現れます。
それを父親自身が許容できるのか。やがて、そんなところに行き着きました。
ところで本作はじぶんを棚にあげても、キャスティングが素晴らしいと思います。ぼくたちは余計なものに惑わされず、選ばれることはほとんどありません。そうしたしがらみの少ない今回はとくに子役の選び方に特筆(とくひつ)すべきものがあります。
主人公の愛ちゃんは天性のなにかを持っています。ふつうは初めてカメラの前に立つときには、なんらかの不安を抱くもの。なのに彼女は本当に自分自身の感性を信じられている。そして周りがそれらを許容する懐(ふところ)があった。
それが顔芝居に頼らず、芯で表現できている結果につながっています。また脚本も読めているので、よけいなことをする必要がない。
相方の斎藤亜美ちゃんは逆にキャリアもあり、より難しいポジションで存在感を発揮しています。そしてなにより大切なのは、愛されるべきキャラクターであることです。彼女は素のネガティブな感性が隠しきれずににじみ出ています。繊細なのだと思います。
それを覆(おお)うような明るい振る舞いにぼくは胸を打たれました。
そして最後にシンプルなシナリオに飽きさせないテンポの良さ。ぼくらは数多くの映画を観ているので、たいていは最後まで座っていられません。
でも本当はこの映画のように、斬新なトリックでなくてもよいから、いつの間にか引き込まれる作品の魅力が不可欠なのだと思います。
自主映画や低予算にありがちな変なマニアックさや過激さもなく、監督の優しい目線も良い方向に転がり、多くの動員を期待できるタイプだと感じました。次回、上映するときはぜひ観て欲しい作品です。