自我の階層
ひとには自我を形成する階層がある、と言われている。
”人間”としてあるいは”男・女”としての自分を差し置いて、それより浅い“俳優”の層だけを満たすなんてできっこない。
手っ取り早くゴールまで届きそうでも、いざハシゴを外されたら下には何もなかったという。
男女の修羅場をくぐり抜けた観客たちが、なんで綺麗なだけの俳優に心奪われるものか。
”人間”としてあるいは”男・女”としての自分を差し置いて、それより浅い“俳優”の層だけを満たすなんてできっこない。
手っ取り早くゴールまで届きそうでも、いざハシゴを外されたら下には何もなかったという。
男女の修羅場をくぐり抜けた観客たちが、なんで綺麗なだけの俳優に心奪われるものか。
ありがちなこと。
学生のころは、いつもいろんなことを考えていた。
もしかしたら世の中で、じぶんより物事を考えている人間はいないんじゃないか、とさえ思うこともあった。
でもそれは思春期によくあることだと、あとで知った。
もしかしたら世の中で、じぶんより物事を考えている人間はいないんじゃないか、とさえ思うこともあった。
でもそれは思春期によくあることだと、あとで知った。
めずらしく神様
親子でも男女でも、ひとを愛することって、だれもがそうできることではない、と思う。
じぶんの殻を脱ぎ、じっさいに肌と肌とを触れ合わせなければならないから。
だからそれだけの必要をじぶんで感じていなければ、たいていはビビる。
リスクがあるのだから、とうぜん。
そんな場合、なにげにいつでも逃げられる安全なところへ身を置くのが賢明(けんめい)ってものだ。
なぜ、神様は人間を不完全にしたのか。
男でも女でもなければ、ひとりだけでしっかり立てるではないか。
じぶんの殻を脱ぎ、じっさいに肌と肌とを触れ合わせなければならないから。
だからそれだけの必要をじぶんで感じていなければ、たいていはビビる。
リスクがあるのだから、とうぜん。
そんな場合、なにげにいつでも逃げられる安全なところへ身を置くのが賢明(けんめい)ってものだ。
なぜ、神様は人間を不完全にしたのか。
男でも女でもなければ、ひとりだけでしっかり立てるではないか。