渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -193ページ目

自我の階層

ひとには自我を形成する階層がある、と言われている。


”人間”としてあるいは”男・女”としての自分を差し置いて、それより浅い“俳優”の層だけを満たすなんてできっこない。

手っ取り早くゴールまで届きそうでも、いざハシゴを外されたら下には何もなかったという。


男女の修羅場をくぐり抜けた観客たちが、なんで綺麗なだけの俳優に心奪われるものか。

ありがちなこと。

学生のころは、いつもいろんなことを考えていた。

もしかしたら世の中で、じぶんより物事を考えている人間はいないんじゃないか、とさえ思うこともあった。


でもそれは思春期によくあることだと、あとで知った。

めずらしく神様

親子でも男女でも、ひとを愛することって、だれもがそうできることではない、と思う。

じぶんの殻を脱ぎ、じっさいに肌と肌とを触れ合わせなければならないから。

だからそれだけの必要をじぶんで感じていなければ、たいていはビビる。

リスクがあるのだから、とうぜん。

そんな場合、なにげにいつでも逃げられる安全なところへ身を置くのが賢明(けんめい)ってものだ。



なぜ、神様は人間を不完全にしたのか。





男でも女でもなければ、ひとりだけでしっかり立てるではないか。