渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -158ページ目

それぞれの戦い方

きょうから小屋入り。今月11日には本番が始まる。


前々回のTIME~も時代劇だったが、『赤い月の修羅』の由良(ゆら)はプライドが高く、負けを知ることを好まなかったので剣術はなかった。


そのときにぼくが使ったのは模造刀。

鑑賞用で見事だが重い。

刀に振り回されたあげく、ぶざまに死んでいった。



今回は達人に近いと思う。


小柄な役者は大きく動かなければ空間を埋められないが、そのぶん跳(と)んだり跳(は)ねたりが驚くほど様になる。


ボクシングなど階級別のスポーツは、そのそれぞれに戦い方や傾向がある。


そういった部分をうまく盗んでいきたい。

からかってるの? バカにしてるの?

言葉って難しいよね。

愛情をもってからかっているつもりでも、あいてにとっては馬鹿にされたように伝わる。


まぁ、からかうなら相手を見ろよ、って話なんだけど。


馬鹿にするときっていうのは、たいてい相手への攻撃。

相対的な立場を有利にしたい、またはそれに類するストレスの発散が目的だったりする。


そうでなければ、興味のない相手にわざわざ労力を使う必要もない。


ぼくは基本的に自信があるので、威張って見せる必要がない。

というか、いじめたり見下したり馬鹿にしたりするのは、じぶんに能力がないことを認めることになるので、ぜったいにしたくない。



きっとプライドは、こういうときのためにあるのだと思う。



でもこの違いは、演技にとても使える。


誤解や勘違いは、優良な役づくりのソースだ。


からかう、というのはおそらく人間特有の高度なコミュニケーションなのであって。


相手との信頼関係やそのときのメンタルによって、そのどちらにも転ぶだろう。



つまりひとによっては、からかわれたなら、それは甘える大チャンス! くらいに考えているものだ。

世界を掘り下げる理由

GW(ゴールデンウィーク)明けに公演する舞台『龍の戦誓(せんせい)』では、とても重いテーマをあつかっている。


現在はほかの現場を縫(ぬ)いながら、その稽古に明け暮れている。


とはいっても、複雑な説明を延々と押し付けられたり、たんに残虐なシーンばかりでうんざりさせられるような話ではない。




むしろ、設定やストーリーは奥深いがとてもシンプル。



女性の描く世界だからかもしれない。



ひとを信じ、想いを募(つの)らせ、未来への希望がみえる作品に仕上がっている。





だが、それらが強ければ強いほど、ベースとなる世界観をしっかり作らなければいけない。



正直、そこまでシビアにする必要があるのかと疑問を持ってもおかしくはない。



ただ、理想を描けば描くほど、現実から乖離(かいり)し、あるとき瞬時に美しいだけの絵空事・世迷いごとになってしまうのも事実。




それは、本当にあっという間だ。




おそらく天井が高ければ高いほど、負けないだけ耐えうるだけ、地面も掘り下げる必要があるんだと思う。