継続は力なり
さいきんはどうか判らないけど、子供の頃はよく言われましたねぇ。。。
個人的に、ぼくはこの格言に懐疑的(かいぎてき)です。
というのも、なんでも続けていればいいってもんじゃないです。
おそらく、この言葉をつくったひともそういう意味で言ったんじゃないと思います。
そして可能性のある子供たちに選択肢をろくに与えず、続けること自体に価値があると教えるのは、むしろはなはだ危険だという気がしてなりません。
もちろん、そんなのは当たり前だ! という声も少なくはないでしょう。
しかし、改めて考えてみると、その可能性、選択肢を与えられるのはほとんどの場合、おとな(親や先生)たちです。
もしそうしたおとなが、その人生で様々な経験をしていなければ将来における枝葉をイメージさせることは不可能です。
子どもを持たない僕にも、それらに費やす時間や金銭的にフォローすることが難しい局面も容易に想像できます。
ただ、やりたいことを見つけてやっているじぶんを本当にラッキーだと思っているので、どうしたらそういう毎日をおくれるのかなぁ、と考えてしまいます。
ちなみにぼくの場合は、面白かったから継続しちゃって力になっちゃった! ですけどね。
個人的に、ぼくはこの格言に懐疑的(かいぎてき)です。
というのも、なんでも続けていればいいってもんじゃないです。
おそらく、この言葉をつくったひともそういう意味で言ったんじゃないと思います。
そして可能性のある子供たちに選択肢をろくに与えず、続けること自体に価値があると教えるのは、むしろはなはだ危険だという気がしてなりません。
もちろん、そんなのは当たり前だ! という声も少なくはないでしょう。
しかし、改めて考えてみると、その可能性、選択肢を与えられるのはほとんどの場合、おとな(親や先生)たちです。
もしそうしたおとなが、その人生で様々な経験をしていなければ将来における枝葉をイメージさせることは不可能です。
子どもを持たない僕にも、それらに費やす時間や金銭的にフォローすることが難しい局面も容易に想像できます。
ただ、やりたいことを見つけてやっているじぶんを本当にラッキーだと思っているので、どうしたらそういう毎日をおくれるのかなぁ、と考えてしまいます。
ちなみにぼくの場合は、面白かったから継続しちゃって力になっちゃった! ですけどね。
助けたいから助ける。
困っているひとに、手をさしのべる。
じぶんが助けたいから、手をさしのべる。
どちらも似ているし、同じように尊いもの。
だけど、意味はまるでちがう。
もしそれが後者なら、当然のことながら、それこそ相手に感謝されるとか、お礼を受けるなんてのは期待しないほうがいい。
なぜなら、かならずしもあいてが助けてもらいたいとは思ってはいない、のかも知れないから。
たしかにあなたの手があれば、より助かるだろう。
が、同時にあいてのリズムを壊しているかもしれない。
あいてへプランの変更を強(し)いているのかもしれない。
また、あいての感受性が未成熟な場合あなたに、それはまるで当然のことだ、と言わんばかりの目を向けるかもしれない。
それで、傷ついているひとが多いのだ。
僕のまわりには。
じぶんが助けたいから、手をさしのべる。
どちらも似ているし、同じように尊いもの。
だけど、意味はまるでちがう。
もしそれが後者なら、当然のことながら、それこそ相手に感謝されるとか、お礼を受けるなんてのは期待しないほうがいい。
なぜなら、かならずしもあいてが助けてもらいたいとは思ってはいない、のかも知れないから。
たしかにあなたの手があれば、より助かるだろう。
が、同時にあいてのリズムを壊しているかもしれない。
あいてへプランの変更を強(し)いているのかもしれない。
また、あいての感受性が未成熟な場合あなたに、それはまるで当然のことだ、と言わんばかりの目を向けるかもしれない。
それで、傷ついているひとが多いのだ。
僕のまわりには。
寄らば大樹の陰(かげ)
トレードを続けていると、大衆の思考がはっきり判る瞬間がある。
ところでチャートが動かなければ、投資家は窒息してしまう。
なにか理由をつけては、上下に揺さぶろうとする。
大衆はそれに続く。
寄らば大樹の陰。
なにしろ安心感がある。
大勢のちからは大きなうねりとなってチャートをいっきに押し上げる。
しかし悲しいかな、小回りは利(き)かない。
投資家は下げるとき、こうしてかれらをいったん持ち上げる。
その後、一足先に降りて梯子(はしご)をはずし、大衆は奈落の底へ落ちていくことになる。
投資家の大きく開いた口のなかへ、と。
世界中には怒りや悲しみ、絶望の淵(ふち)に立つ者のコメントが散らばっている。
本当に投資は恐ろしいだけなのだろうか。
それはきっと、平時(へいじ)には口をつぐんでいる、かれらに聞いてみなければ解らないだろう。
ところでチャートが動かなければ、投資家は窒息してしまう。
なにか理由をつけては、上下に揺さぶろうとする。
大衆はそれに続く。
寄らば大樹の陰。
なにしろ安心感がある。
大勢のちからは大きなうねりとなってチャートをいっきに押し上げる。
しかし悲しいかな、小回りは利(き)かない。
投資家は下げるとき、こうしてかれらをいったん持ち上げる。
その後、一足先に降りて梯子(はしご)をはずし、大衆は奈落の底へ落ちていくことになる。
投資家の大きく開いた口のなかへ、と。
世界中には怒りや悲しみ、絶望の淵(ふち)に立つ者のコメントが散らばっている。
本当に投資は恐ろしいだけなのだろうか。
それはきっと、平時(へいじ)には口をつぐんでいる、かれらに聞いてみなければ解らないだろう。