2013.10.21 | 綺麗なものを感じるために

綺麗なものを感じるために

Beginning 初めての投稿です
Diary 日記です
Trivia その時に入ってきた雑学です
Trifles 特に意味はないけどその時感じたどうでもよい事です
Pachinko パチンコについてです

今に至る経歴を少々。


2013.3

大学を休学した。

23歳5回生だった。

そう、留年。取得単位は約半分。フルで頑張っても1年はかかる数字だ。

それまでの5年間何をしていたかというと、バイトで明け暮れた毎日だった。

2回生から始めた居酒屋のバイト、シフトは前半、後半、と分かれており、普通学生は前半で出すのだろうが、途中から、どうでもよくなっていた。

朝まで働き、朝から呑みに行き、家に帰り夕方まで寝る。大学の授業など頭に無かった。

同級生はもちろん卒業していき、4年で卒業できず一緒に留年した同級生でさえも卒業。

そして、気づけばバイトの表の一番上に名前があった。

その居酒屋に就職する気も無かったが、多分居場所があったからだと思う。

そんな生活はダメだと思い、4年働いた居酒屋バイトを辞める。学校も行く気がなかったので、親を説得し、休学した。

もちろん、親は呆れている。


とにかく場所を変えなければならないと思い、大学1回生の夏休みにやっていたリゾートバイトに再登録した。

寮と食事付きで稼げたからだ。

派遣先は時給で選んだ。

休学する上で目標があった。

1. 大学の学費を貯めること

2. 自分が行きたい別の学校の資金を貯めること

つまり、金。

大学は関西にあるのだが、少し離れたG県に決めた。

時給が他の所より100円高かったからだ。

あとは田舎に行きたかった。何も無いとこで自分を見つめ直そうと思ったから。

すぐに借りていた家を出る準備をし、荷物は実家に送ってスーツケースひとつでG県に向かった。

着いた初日、その旅館の壮大さに驚いた。

まず、館内ツアーに参加するよう言われたのだ。

館内を回り、広さ然り、天皇や著名人がVIPで泊まることを知った。

それまでやっていた大衆居酒屋とは違う。接客力などの自信はどこかに飛んでいった。

それからは何もかもがHARDだった。

仕事の質、量、時間帯、思っていたよりも少なかった手取り。

毎日の酒にお金は消えていった。これでは、お金を貯めるどころではない。

仕事をやっと覚えてきた契約終了の3ヶ月目。延長を持ちかけられたが、すぐに下山した。

自分の中でスキルや成長を得ることができたと感じたが、この休学を無駄にしたくは無かった。

関西に戻ることを決意したが、大学とは少し離れた関西色濃い場所で過ごすことを決めた。

その時、職の予定など決めてなかった。もちろん家も無かった。

持っていたスマホで調べ、通称ドヤと呼ばれる安い宿へ泊まった。

とにかく次の日を生きるために、日雇いでもなんでも働かなければならなかった。

ネットの掲示板でパチンコの打ち子(一日中他の人の代わりにパチンコをうつ)の募集を見つけた。

パチンコは結構好きで、大学生の時は借金しながらでもやっていた時期があった。

ただ、打ち子の仕事は詐欺が多いことも知っていた。

けれど、選んでいる暇など無かった。

恐る恐る電話で連絡し、次の日に車で近くまで迎えに来てもらうことになった。

失うものは何もない。

待ち合わせの場所に行った。

打ち子はホンモノだった。

しかし、大好きなパチンコ打ってお金がもらえるなんて、と喜ぶ暇もなく、パチンコを嫌いになったと思う。

パチンコ屋の開店一時間前に出勤し、店の前で待ち、午後2時までひたすら打つ。

携帯でデータを取りながら。

パチンコ台から手を離そうものなら、すぐに怒られた。

打っていたのは海物語。液晶画面にひたすら番号付いた魚が流れていく台。

片手で常に携帯を触っていたが、ネットサーフィンも限界がある。それに当たりを引いてしまうと、台に集中しなければならなかった。

トイレも行ける雰囲気では無かった。

昼食を挟み、20時までまた打つ。

1日8000円。生活のために続けた。貯金などという言葉は消えていた。

1ヶ月経ち、独立することを決めた。

理論は理解したので、あとは資金を貯めるだけだと思った。

それから2週間、打ち子の仕事を減らし、一人で打ちに行き始めた。

それが2013年8月の事。

それからは打ち子の仕事はやってない。

8月、9月と資金も貯まり、家を借りることもでき、なんとか生活できる状態に至る。

お金を貯めるという目標に近づけた。

一生をこれで食っていこうとは思わない。

期間限定のパチプロである。

職業:パチプロ
 歴:3ヶ月

いつまで続くかわからないが、今の生きる術はこれしかない。