先日は、何を書こうかとYouTubeを聴いていて、やおら思いついてあの記事になりました。「愛は寛容であり、愛は情け深い」
ものはついでに続きです。
パウロとは何者か。
イエスの弟子たちのうち高位の12人を使徒と呼んだりします。最後の晩餐に連なった人たちです。
※興味のない人は読み飛ばしてください。
一方パウロ(サウロ)は、その12使徒でもなく、生前のイエスに会ったことすらありません。
イエスと同年代とされるパウロは、ユダヤ教の一党派でパリサイ派(ファリサイ派)と呼ばれる、モーセの律法に厳格に従っていた人たちの中の一人でした。
イエス死後の原始キリスト教会の信徒を迫害する側でもあったのです。

十字架上で死んだイエスを救世主(キリスト)と信じる人々は彼らパリサイ派の憎しみの対象でした。
そんなある日、イエスの信者を捕らえるため、パウロはエルサレムからダマスコという町に向かっていました。
と、そのとき突然、天からの光が彼を照らしたのです。地に倒れたパウロは声を聞きます。

「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」
※パウロはギリシャ名です。
「主よ。あなたはどなたですか」
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」
そのときはすでに、この世にいないイエスの声でした。
「主よ、どうしたらよいでしょうか」
「立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです」
サウロは立ち上がりましたが、目が見えなくなっていました。そこで同行していた人々は彼の手を引き、ダマスコへ連れて行ったのです。
イエスの声に従いアナニアに会います。パウロが捕らえようとしていたイエスの信者たちの内の一人です。やはりアナニアもイエスの声に従いパウロを癒すことになったのです。
「兄弟サウロよ、元通り見えるようになりなさい」
そのとき、パウロの目からうろこのようなものが落ちて、彼の目は見えるようになりました。
※「目からうろこが落ちる」はここから来ています。
アナニアは言いました。「わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。
──今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい」
これがパウロの回心(メタノイア/180度の方向転換)と呼ばれる出来事です。
回心はキリスト教用語で、この世の価値基準から神への信仰基準に立ち返ることを表す言葉です。聖書ではしばしば「悔い改め」と記されますが、これが回心にあたる言葉です。
パウロはイエスの教えを広めるため、立場のすべてを投げ捨て、海さえ越えて怒涛の布教活動に入ります。
端折りすぎましたが、こんな感じです。
パウロがいなければ、キリスト教は世界宗教にはならなかったでしょう。
僕はこのパウロに強く惹かれます。
イエスはユダヤ教徒です。それもユダヤ教の異端児だったと言っていいでしょう。
ただの一度も、自分がキリスト教の教祖であるなどとは思わなかったのではないでしょうか。
イエスの死後、その教えは異邦人のローマ世界に広まりましたが、パレスティナのユダヤ人たちの間には定着することはありませんでした。
イエスの生存中は群れをなして集まってきた人たちは、イエスの病気治癒の奇跡や新しい預言者が出現したとのうわさで集まってきたのであって、イエスの説くところを信奉したからではなかったのでしょう。
その後、キリスト教はローマの国教となりましたが、ユダヤ人たちはイエスを受け入ることはありませんでした。
パウロは皇帝ネロによりローマで斬首されました。60歳目前であったともいわれます。
コリント人への第一の手紙 10章13節
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
僕はクリスチャンではありません。
それどころか、自称「宗教撲滅委員会」の会長なのです。
でも、いいものはいいと認めます。盲目的な差別はしません。
「虫、嫌い!」とか金切り声を上げる若い女性とは違います。
丸めた新聞でゴキブリをハッシと叩くおばちゃんみたいです。
ゴキブリ宗教は撲滅すべし。
お金が絡んだ時点ですでに、ダメだと思って間違いない。
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