風を縫うように声が聞こえたのは、自転車のスタンドを立てて、ジーンズのポケットを探った時だった。
目の前には「あったか~い」の文字が躍る自販機、視界の左右に動くものはなく、声はすぐ後ろ。放たれた言葉の狙った的は、まぎれもなく僕だろう。

はい? 首だけで振り返ると、声の主は自転車にまたがった小柄で黒目がちの女の人だった。
年の頃は二十歳前後、僕と同じ大学生だろうか。ウェストポーチを袈裟懸けにしている。
「この辺に猫のものとか売ってるところはありませんか?」
「猫の、もの?」
「ええ、食べ物とか、トイレとか」その人は耳の横で右手の人差し指をくるくると回した。
それが、このへんを表したのだと、一拍遅れてわかった。
あ、ええっと。
素早く頭を回転させたけれど、記憶の中のストリートビューにペットショップは出てこなかった。
次に何軒かのスーパーの売り場を思い浮かべながら答えた。
「ありぃ──ます、よ」たぶん。
「ほんとですか」その人は表情を明るくした。瞳がクリクリとよく動く人だった。
その人の第一印象は、春風にふるふると揺れる菜の花だった。
「引っ越してきたばかりで全然わからなくて」かぶりを小さく振ったニット帽の下でショートボブの黒髪が揺れた。
これといった用事もなく、バイトも入れてない完全休日だった僕は、近所のスーパーまで案内することになった。
「なんか飲みますか?」ガコンと落ちてきた缶コーヒーを手にした僕は、儀礼的に尋ねた。
「じゃあ、温かさだけ」
自転車を降りた彼女が差し出した手に缶コーヒーを渡すと、「微糖なんですね」と微笑んだ。
「ええ、いつもだいたいこれです」
彼女は、では行きますよ、と言って背中を丸め、指無し手袋の中で錐(きり)でも揉むようにころころと転がしはじめた。
やがて、うしっ、うしっ、と、鉄板に穴でも開ける気かと突っ込みたくなるほど過激に転がした。
「しっかり、いただきました」ふふふと笑って缶コーヒーを返してきた。
少し変わった人につかまっちゃったか?
11月の風は、容赦もなく冷えていた。
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