足を組み、背もたれに背中を預けてベンチで読書をしているときだった。
バチッと音を立てて文庫本にぶつかってきたものがあった。
カナブンか?
そう思ったのは、それが羽音を立てていたことと、そこそこの重量感をもっていたからでもあるし、出がけにエントランスにカナブンの死骸を見たせいもあるだろう。
見ると、僕の短パン近く、Tシャツの裾につかまってもぞもぞしていたのはクマバチだった。
方言なのだろうか、獰猛そうなクマンバチの別称を持つ蜂だけれど、はちみつ科のころころとした体形をした温厚な蜂だ。
お尻をフリフリしながら二番目の足で黄色いベストを撫で、前足で頭を撫で……右足か左足か、前か後か、当の熊蜂がもう訳が分からなくなっているようなコミカルな動きをしている。
「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」小林一茶の俳句を思い出した。

クマバチは航空力学的に、飛べるはずのない形なのに飛べているとされている。
それがはっきりと解明されたのかされていないのか……確か、空気の粘性みたいな話だったと思うけれど、それが最終回答なのかどうかは知らない。
人間が水に感じる粘性、みたいな話だったはず……クマバチにとって空気は、ねばっこいんだろうね。
そのクマバチを僕は払い落とさなかった。
だって、クマバチがこんな風に人に乗るなんて、それは死期の近さを現しているはずだから。
さっきまで飛べていたのに、もううまく飛べなくなった彼女は戸惑っている。そう、頭に白い三角模様がないから、メスだ。弱いけれど毒針を持っている。
異変は感じていただろうけれど、なんとか飛んでいたはずだ。それが突如失速した。
右手の指先に誘うと、クマバチは僕の腕を這い上った。
それをそっとベンチに乗せると、隙間にはまってもがいた。それを脱出するとベンチから落ちた。

蜂が飛ばずに歩いていく。
時折動かす羽根は歩みを早めるけれど、もう彼女を飛ばすことはない。
嵐が前触れもなく訪れ突然去るように、恋も、人生もまたそうなのかもしれない。
残り少ない命を燃やしながら遠ざかるクマバチを、僕は静かにずっと見ていた。彼女に頑張れなんて念仏は無意味だと知っていたから。
何より、彼女を飛ばしていたのは航空力学ではなく、彼女が失いつつあるパワーだったはずだから。
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