ふわふわと大きなあくびをしてギューッと両腕を伸ばす。お尻を上げて背伸びをして、ぐいんと背中を丸めると体がほぐれて気持ちいい。
涼音さんもこんなことをしている。僕の真似でも始めたのかと思ったらヨガとかいうらしい。
涼音さんの香りの残るベッドを降りてベランダに向かう。少し開いたサッシから心地のいい風が吹き込み、レースのカーテンがふわりと揺れた。

フィカス・プミラにおはようのあいさつをして、陽だまりに寝そべって目を閉じる。
遠く遮断機の鳴る音。走りすぎる電車の音。コツコツと鳴る、靴の音。涼音さんが帰って来る時もこんな音がする。でも、これは全然違う人だ。
このところ気になって仕方のないことがある。
いや、気になるというより、心配といったほうがいいだろうか。そう、涼音さんのことだ。
僕が初めてそいつを見たのは、いつだったろう。
ああそうだ、原っぱの黄色いタンポポが咲き始めたころだ。あの頃はまだ風が冷たかったけど、今はもう暑い。
あの日の夜、涼音さんはほろ酔いで帰ってきた。

「チャトラぁん、たらいま。ほら、今夜はお客様よ」
涼音さんの頬はほんのり赤く染まっていた。
「お、かわいい猫だね」そいつはしゃがみ込んで僕の顔を覗き込んだ。
こら、勝手にさわるんじゃない。僕は耳を後ろに寝かせた。
「ゴロゴロ、ゴロゴロ」
こら、顔を寄せるな。僕はごろごろなんて喉を鳴らしてない。それに足が臭いぞお前。
「もちろん、君ほどじゃないけどね」
ふふっと、嬉しそうに涼音さんは笑い、そいつも笑った。
その瞬間、僕はこいつを胡散臭い奴だと感じた。だって、声に合わせて口角は上がっていたけど、僕を見る目が全然笑っていなかったから。
僕の食事を足して飲み水を入れ替えて、涼音さんは出て行った。いい子にしてるのよ、と頭を撫でて。その夜、涼音さんは帰ってこなかった。あんなことは初めてだった。
涼音さんは毎日ご機嫌だった。時として僕の食べ物のグレードが上がったりした。
それはあの胡散臭い奴のせいだとわかっていたから、あまりうれしくはなかったけど。

だけど、公園の紫陽花が咲き始めるころから、涼音さんは元気がなくなっていった。
僕を抱いて撫でながら、泣いている夜もあった。
それもきっと、あいつのせいだ。
にゃご(どうしたの?)
涼音さんは答えない。猫は人間の言葉がわかるけど、人間に猫の言葉は通じない。
にゃご、にゃご。
「チャトラン、おなかがすいちゃったの?」
にぃやご。
ふいと顔を上げる。そうだ千年おばば様に相談してみようか。
この世に千年も生きていて、知らぬことなど何もないという尊い猫さまに。
ばば様は、僕のことを覚えているだろうか。涼音さんに拾われる前の、ちっちゃい野良だったころの僕のことを。

思い立ったが吉日。すっくと立ちあがり、プミラに頬を寄せて出かけてくるよと告げる。
風に吹かれたプミラがふるふると手を振った。僕のために少し開けてあるサッシから体を滑り出させた。
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