引っ越しの時なのかな、一冊どこかへ失くしちゃったんだ。
それが、父が口にした、僕の小さなころの写真が存在しない理由だった。
─短編小説「見えない彼女」─
駅のそばの喫煙所で煙草を揉み消した僕は、ビルに切り取られた夜空を見上げた。
明日だな。
僕が気になっていたのは、引き受けてくれた彼女がかなり渋々だったということ。
そんな彼女が僕の前に現れたのは、小学校の三年生ごろだったと記憶している。思えば、ずいぶんと長い付き合いになる。
公園だったのか、学校帰りの河川敷だったのかは定かではないけれど、ぼんやりと景色を眺めていた場所は、ベンチだったのは間違いない。
だって、彼女が僕の隣に腰を下ろしたのだから。
「何してるの」ふわりと後ろから声をかけてきたのが彼女だった。
ピンクのランドセルの肩ベルトに両手の親指を突っ込んだ彼女は、ちょっと腰を折って首を傾げた。その微笑みは、どこか懐かしさを感じさせるものだった。

「いや……別に何って……」
人見知りな僕の戸惑いを笑うように、秋風が髪をなぶった。
ランドセルを背中からおろして隣に座った彼女は、僕の言葉など聞こえなかったかのように、ほら、と空を指差した。
「秋の空ってさ、なんで高いか知ってる?」
彼女はまるで親戚みたいに、僕の心に滑り込んできた。
「空が高い?」

「知らないの?」もう、なんてことなの、とでも言いたげに、彼女は自分の太ももをパシパシと叩いた。
「じゃあ、天高く馬肥ゆる秋って言葉も知らないね」
「知らない」
「もっと大きくなったら教えてあげる」じっと見つめた彼女の横顔は、どこか凛々しく、長いまつげが、真っ青な秋の空を影絵のように切り取っていた。
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