こうしょくじょうしょくりょ……。
ん?
こうしょくじょうしょくろ……。
ん?
こうそく、ぞうそくりょ……。
ん?
こう、そく、ぞう、しょくりょ?
アナウンサー泣かせの高速増殖炉もんじゅが廃炉にむけて検討されているらしい。
既に約1兆2000億円をつぎ込みながら稼働実績がほとんどない上に、ミスが相次いで停止中の「もんじゅ」
1985年に着工、95年8月に発電を開始したのだけれど、3カ月後には冷却材のナトリウム漏れ事故で停止した。
10年5月に再稼働するも、3カ月半後に燃料交換装置の落下事故が起きた。実質的な稼働・発電実績は1年に満たないという体たらく。

発電に使った燃料以上の燃料を生み出すという「夢の原子炉」実用化のために建設されたが、夢のまた夢。
原子力発電自体に僕は反対なのだけれど、技術的な面でいうと、一度離れてしまうと元には戻れないというのもまた現実にある。
零戦を始めとする、世界を驚かせる戦闘機を生み出し続けた日本も、一度それから離れてしまったがゆえに、もう飛行機が作れない国になっている。
余談だけれど、その零戦もやがて、対抗して作られた米軍の重戦闘機グラマンF6Fに撃墜されていった。
そのグラマンに対抗するべく作られた旧日本海軍、最後の重戦闘機が「紫電改」だった。

戦局打開の切り札として開発され、昭和20年(1945年)1月に実戦配備された。
米軍のF6F戦闘機やB29爆撃機等と死闘を繰り広げたが、実戦は終戦までの、わずか8か月間に過ぎなかった。
しかし、その戦闘能力はグラマンF6Fを圧倒した。
物資不足部品不足の中、それでも日本の技術は、世界一の戦闘機を作り上げたのだ。
戦局が長引くことがあったなら、僕たちに語り継がれたのは、零戦ではなく、この紫電改だったのではないだろうか。
もしも、日本が飛行機作りを続けられる環境にあったなら、現在のようにアメリカから馬鹿高い値段の戦闘機を買うこともなく、世界一快適で省エネの旅客機を生み出していただろう。
一度離れてしまえば、失われる。継続しなければ二度と元には戻れない。それが技術だ。
僕はいったい、何の話をしたかったのだろう……(苦笑)
こうそくぞうそく……。
誰か止めて。
ポチポチッとクリックお願いします。

短編小説 ブログランキングへ