─第2夜─
案内をされてカウンター席に腰を下ろしたのは、小柄で細身の老夫婦だった。
ちょっと首をかしげて案内係を見ると、指で○を作った。ここでいいのだという意味だろう。
「ようこそ、いらっしゃいませ」私は頭を下げた。
「ボックス席の方がよろしいんじゃないですか」念のために訊いてみた。
「いえ、こちらをお願いしたんです」
「そうですか」
ボックス席が満席の時は2.3人の客が案内されたりもするが、ここに座るのは一人客か、馴染みのカップルが多かった。

「いえね、ここには以前お邪魔したことがあるんです。そのときに、遠目でしたがあなたをお見かけしたんですよ」
確かにカウンターバーは、ステージから一番遠い場所にある。カウンターの上で両手を組み合わせたご主人の目は、とても穏やかだった。
「私を、ですか」
「はい。訊いてみたいことがありましてね、それで今夜は来たのです」
「私にですか? はい、何なりと」私は背筋を伸ばした。
「初恋フィズって、ご存じではないですか」ご主人は隣に座る奥さんの方を見る。
「ずいぶん昔に飲んだことがあるんですよ」奥さんは期待を込めた目をした。
「ああ、なるほど」
「どこのお店で訊いても知っている人がいないんです」ご主人が言葉を引き取る。
「で、キャリアのありそうなあなたなら、ご存じじゃないだろうかと思いまして、今夜来てみた次第です」
「そうでしたか。そうですねえ……私自身ご注文を受けたことも、提供したこともございませんが、知っております」
「そうですか!」
「ああ、やっぱりここに来て正解だった」夫婦は砂漠にオアシスでも見つけたように、安堵と喜びの笑みを浮かべた。
「それを、今作れますか」
「はい、かしこまりました。お二つでよろしいですか」
「ええ、ついでに私も飲んでみたいので」ご主人はちょっと恥ずかしそうに笑った。
材料をシェイカーに入れ、シェイクする。ああ、いい音だこと。それにあの細いお髭、クラーク・ゲーブルみたい。ほら、風と共に去りぬのクラーク・ゲーブルよ。奥さんの声がする。
こちらに聞こえていないつもりの自分の話は気恥ずかしい。
タンブラーに移し、ウィルキンソンの炭酸で割る。
軽くステアしてレモンスライスを添え、カウンターに乗せた。
居住まいを正した奥さんは「ああ、確かにこんな色でした」と頷いた。
グラスの縁で乾杯した二人は、感慨深げにそれを眺め、ゆっくりと口をつけた。
「ん? カルピスが入っていますか」ご主人がいち早く気づいたようだ。
「そうです」私は微笑んだ。
「ああー初恋の味ですね」
「そうです。初恋の味カルピスです。カクテルブックに載っているようなカクテルではないですが、私たちと同じような年代の人なら知っている可能性のある名前でしょうね」
同じような年代という言葉に反応したのだろうか、奥さんは、また口に手を当てて、ふふっと笑った。
「今回はややドライなビーフィータージンを使いました。奥様は、ジンフィズをご存じですね」
「はい」
「量を無視して乱暴に言えば、ジンフィズにカルピスをくわえたものが初恋フィズです」
「そうなんですか!」

「ご主人に飲ませてもらったのですか」
「いえ……」奥さんは、ちょっと言葉に詰まった。
「家内の昔つきあっていた人です」ご主人が口を開く。
「その男は、私の友人でしてね。しかし、若くしてガンで亡くなったんです。まだ23歳でした」
「そうですか……若い人のガンは進行が早いと言いますからね」
二人が口を開くのならとことん聞いてやろう。話さないならここで静かに過ごさせてあげよう、と、私は思った。
「ラグビーをやっていた、がたいのいい、気の優しい男でした……今日はね、そいつの誕生日なんですよ。だから、ここに来ました」
ご主人の言葉を噛みしめるかのように、奥さんはゆっくりと頷いている。
「生きていればおじいちゃんなのに、そいつは若いままなんです。それがうらやましくもあり、悲しくもあるんです」
今夜はじっくり聞くこととしよう。3人の思い出話を。
風と共に去りぬ/タラのテーマ Gone with the Wind Tara's Theme
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