翳(かげ)りゆく愛に「18」 | 風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」

鳴海は取り出した手帳を開いた。
「今年の8月15日は……土曜日か、じゃあその前後で夏休みをもらおうか。お盆休みなんてない会社だからね」
「悪いわね」
「たまには二人で暮らした東京で初心にの戻るのもいいさ、すみれは東京を知らないし」閉じた手帳をジャケットの内ポケットにしまった。

「とうきょー?」
「うん、すみれ、今年の夏は東京に遊びに行こう。靖国神社も行こう」鳴海は両手を膝についてすみれに顔を近づけた。
「うん!」すみれが嬉しそうに頷く。
「あなた、遅刻じゃないの?!」
「ま、いいさ。ちょっと事故っちゃったし」鳴海はアウトバックを振り返り苦笑した。



とうきょーにお遊び……ママとパパととうきょー……やすくにじんじゃ……やすくに、じんじゃ……おばあちゃん。



「すみれのおばあちゃん?」すみれが鳴海と早紀を交互に見上げる。
「違うわよ。うーん、説明するのはややこしいわね。お兄さんが特攻に行ったおばあちゃんよ」
「それは、余計ややこしいんじゃないの」

ややこしい……よけいややこしい……とっこう……とっこう……とっこうにいったおにいさんのおばあちゃん。
「関係性が、ちょっと違うなぁ」早紀がクスッと笑った。

ちょっとちがう……かんけいせい……とっこう……とっこう……とっこう

ちらん……



知覧?!
今の話の中で知覧など出てこなかったのではないか。出てくるはずはない。すみれはお下げを振りながら、舞い落ちてくる雪を掴もうとしていた。

とうきょーにお出かけ。ママとパパとすみれがとうきょーにお出かけ。やすくにじんじゃ。
動きを止めたすみれは背中を見せて、まるで仁王立ちするように空を見上げた。

ぐらまん……ぐらまん

鳴海はすみれの後ろ姿を凝視した。

とっこう……とっこう……

はやぶさ

グラマン?! 隼?! すみれはいったい何を言っているのだ。
「すみれ」鳴海は小さく声をかけた。その声は自分でも分かるぐらいに震えていた。

はやぶさ……
さくら……

鳴海の声も聞こえぬかのようにつぶやき続けるすみれ。
夢で見たシーンは、確かに八重桜が散る頃だった。



さよなら……はやぶさ……

さよならは……さよ、なら、は……

鳴海は跪き、肩を掴んですみれを振り向かせた。きょとんとした顔の、その小さな体を引き寄せた。うきゃきゃーと身をよじるすみれ。
「パパが耳をひっぱるぅ」

「今夜、夢の話をしてあげよう。すみれとママに」
「パパ、おひげが痛ぁい」
鳴海はあごを触った。
「あ、そり忘れてる!」

昨日シェーバーが壊れたから、間に合わせで安いひげそりを買ったんだった。スーパーに入っている家電量販店で、明日あらためてシェーバーを買おうと思っていた。いつもと手順が違ったから、そり忘れた。



ルームミラーに映る、早紀とすみれの乗ったフォレスターが左折のウインカーを出し、スピードを緩めた。鳴海もそれに合わせて速度を落とす。
助手席のチャイルドシートに座るすみれが両手大きく振る。笑っていなければ溺れてもがいているようにも見える。あの様子なら両足もジタバタさせているに違いない。

ふっと笑った鳴海は片手を上げた。幻のあの日に隼を発進させたときのように。
ゆっくりと左に折れた車はルームミラーから消えた。

けっして耳クソには見えなかったけれど、すみれの耳の穴のそばにそれはあった。夢で見た佐智とまったく同じほくろが。
いつの間にできたのだろう。そう、例外を除いては、生まれたての赤ちゃんにはほくろがないのだ。

病院で造影検査を受けてみたって、自分の体に精子など存在しないのだ。鳴海にはそう思えた。
けれど、これでいいんだ。

靖国詣での後、その足で早紀とすみれを知覧に連れて行ってやろう。八月のまばゆい日差しの差す鹿児島に。
そして、杉浦という名前を探してみよう。隼を追いかけた、色黒で小柄な中村佐智という名前も。



鳴海は左を見た。雪をまとった真っ白な世界のその先に、空から差す無数の天使の梯子が広がっていた。

目に見えぬ何かの力に、鳴海の胸は感謝で震えた。ぼやける景色を手の甲でぬぐい、遠くにそびえる雪山に延びる轍(わだち)の跡を追うように、鳴海は軽くアクセルを踏みこんだ。

─FIN─

語り継ぐ愛に / 来生たかお


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