警戒警報もなく、いきなり空襲警報が鳴り響いた。驚いた佐智は空を仰いだ。4月の知覧の空は今日も青く広がっている。
特攻機を掩護(えんご)する飛行隊員たちが、戦闘機を格納してある掩体壕(えんたいごう)に走る。しかし、すでに無理だと判断した様子で、宙をにらんだまま動きを止めた。邀撃(ようげき)は諦めたようだ。
「佐智! 早よう逃げんと!」遠くから呼ばわる声に、佐智は弾かれたように走り出した。
日本軍の飛行機とは違う、腹に響く熊ん蜂のような音。米軍の艦載機だ。佐智は防空壕のある方へまっしぐらに走った。

音が近い。走りながら見上げると、ずんぐりむっくりとした機体の群れ。グラマン(F6Fヘルキャット)だ。
杉浦さんが教えてくれたことがある。無敵を誇った海軍の零戦も陸軍の隼ももはや時代に取り残され、F6Fとまともに闘えた戦闘機は零戦の後継機として開発された紫電改ぐらいだったと。彼らはすでに日本軍の戦闘機を舐めきっていた。
キーンという耳障りな音がしてくる。急上昇の音とは明らかに違う、急降下音だ。
足がついていかず前のめりに倒れて、額を思いきり地面に打ち付けた。手を突き、膝を立て、起き上がって走った。恐怖で膝に力が入らない。
掩体壕(えんたいごう)で整備兵が、こっちへ逃げてこいとばかり、腕招きをする。
空襲から戦闘機を守るために、4メートルほどの土塁をコの字型に積んだ掩体壕は、まさに杉浦さんの隼の偽装を外した場所だった。
「走れ、走れ!」整備兵の声が励ます。
足がもつれて、また転んだ。耳をつんざくほどの轟音。近すぎる。立ち上がったが、息が上がり足が萎えたように言うことをきかない。
「やっせん!」
腿を両手で叩いて足を踏み出したが、もう走れなかった。足が、動かない。
バリバリバリッ、背後に機銃の音が迫る。
標的が大きくなるから伏せてはいけないことなど知っている。それでも佐智は体を縮めるように伏せた。
「伏せちゃダメだ! 走れ走れ走れ!」整備兵の悲鳴に近い声がする。

杉浦さんは言った。佐智、スカートが捌ける時代がもうじき戻ってくるよ、と。
もんぺじゃなくて、またスカートが捌ける時代がね。
僕の母は体を悪くして、僕以降に子供を産むことはなかった。だから佐智をとても可愛く思う。
右前方からすさまじい土煙が迫ってきた。違うグラマンの機銃掃射だ。
佐智、誰の命にも時間の制限がある。その時間がいつ訪れても悔いの無いように、これからも精一杯生きなさい。僕の分まで。
グラマンを操縦する米兵の顔が見えた。顔を真っ赤にした赤鬼。
「佐智はもうダメんごたる!」
背中に熱い衝撃を受けた。胴体が勝手に弾む。鼻先で、最後の息が土埃をかすかに震わせた。

「すみれの様子はどうですか? 寂しがっていませんか?」
「おまえだってまだ回復していないんだから、焦ることはない。心を穏やかに治療に専念しなさい。今は回復することが一番大事だ」
「そうね……」
納得はしていないだろう。しかし、すみれの様子など伝えようもない。早紀は窓の外に顔を向けた。
「こんなことがなければ、今日はスーパーで遊ぶ日だったのにね」誰にともなく、呟くように、早紀が口にした。
「来週は行けるのかしら?」
鳴海は言葉に詰まる。今はまだ真実は語れない。これ以上、嘘はつきたくなかった。けれど、せめて治療が終わるまでは早紀の心を潰してはならない。
しかしこれは、言葉にしていなくても、いや、していないからこその立派な嘘。
それも、優しさの欠片もない、残酷な偽り。

早紀はきっと、すみれの死も知らずに発した自らの言葉を、悲しみと共に反芻するだろう。己を咎めるように、幾度も幾度も。
思い浮かべたスーパーでの景色も、すみれの笑顔も、来週はいけるのかしらの言葉も、彼女をナイフのように切り刻む。
すみれは斎場に搬送された。明日は焼かれて小さな骨片になる。
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