タガタメ | 風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」
インドのとある村に、可愛い赤子を授かったキサー・ゴータミーという若い母親がいました。
しかし、ある日その子を病で亡くしてしまいます。

キサー・ゴータミーは半狂乱になります。
彼女は死んだ赤子を抱いたまま「この子を生き返らせてください。お願いします。誰かこの子を生き返らせてください」
と村中を歩き回ります。
けれど、そんなことは誰にも不可能です。
そんな彼女を哀れに思った村人がとある人物の名を教えます。
あのお方ならなんとかしてくれるかもしれないと。

その名はゴータマ・シッダールタ
旅の途中にある覚者・仏陀でした。

キサー・ゴータミーは喜び勇んで、仏陀が滞在する郊外の森へ出かけます。

対面した仏陀は言います。
それはお気の毒だ。私が赤ん坊を生き返らせてあげよう。村へ帰って芥子の実をひとつまみもらってきなさい」と。
芥子の実は農家であればどこにでもあります。村へとって返そうとする彼女に仏陀は声を掛けます。

ただし、その芥子の実は今まで死者を出したことのない家からもらってこなければならないよ
混乱する頭でその意味を良く理解できなかったキサー・ゴータミーでしたが、喜びを胸に村へ急ぎます。愛しい我が子が生き返るのです。

彼女の申し出に村人は快く芥子粒を提供しようとします。しかし、仏陀の出した条件に対しては、家々を訪ねても訪ねても似たような返事しか聞くことができません。
「うちでは父や母の葬式もしたし、子供の葬式も出した」と。

そう、死者を出したことのない家など村のどこにもなかったのです。愛するものを喪った悲しみは彼女一人のものではなく、村人すべてが味わってきたものだったのです。

人は皆死ぬのです。生きとし生けるものは死を免れないのです。それに気づいた彼女は仏陀の意図を理解し、わが子の死を静かに受け入れました。

そして仏陀の弟子となりました。



この話は、母親にぬか喜びをさせて可哀想な気もするのだけれど、言って聞かせるより自分で気づくことが大切なのでしょうね。

死は終わりではなく、ひとつのドラマの幕引き。
この世の生を終えた者には直ちにそれが分かる。
苦しみは去る。痛みもない。重い肉体は脱ぎ捨てたのだから。
死はひとときの別れに過ぎず、時が来ればやがて再会をする。

たとえるならば出番を終えた役者が一足先に楽屋に戻り、舞台に残った役者たちが芝居を続けるようなもの。
けれど、いつの世も、それを知らぬ残された者たちが、我が身が裂けるほどの悲しい涙を流す。

舞台で演じる役者たちはそれが唯一の現実だと疑わず、幕が上がる前に皆で語らった楽屋があったことさえ忘れている。


「タガタメ」はキサー・ゴータミーの逸話を知るミスチルの桜井和寿が、長崎の少年事件、渋谷の少女4人監禁事件などをきっかけに綴ったメッセージソングです。


タガタメ
作詞/作曲 桜井和寿

タタカッテ タタカッテ (戦って 戦って)
タガタメ タタカッテ (誰がため 戦って)
タタカッテ ダレ カッタ (戦って 誰 勝った?)
タガタメダ タガタメダ (誰がためだ? 誰がためだ?)
タガタメ タタカッタ (誰がため戦った?)

子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない


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