存在するすべてのものは絶えず移ろい、常であるものなどない。そんな様を表した言葉に「生者必滅・会者定離」(しょうじゃひつめつ・えしゃじょうり)がある。
生あるものは必ず滅し、会いたるものは必ず分かれる。元々は仏教から来た言葉なのだけれど、それをセットで使った『平家物語』を始めとしてなじみの深いものは多い。
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」
で始まる『平家物語』もそうだし、吉田兼好の随筆『徒然草』もそうだ。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
で始まる鴨長明の『方丈記』もある。
仏教的無常観は僕たちの心の中に根付いているのだろう。
ずいぶん以前のブログに書いた気がするけれど、奈良時代の頃には花見といえば「梅」だったらしいが、平安時代には、それが「桜」に変わる。
ぱっと咲いて潔く散る。平安の時代から日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、生者必滅・会者定離の無常を感じ取るからだろう。

始まりがあれば終わりがある。終わらないものなどない。
やがては己の肉体だって滅んでしまうのに、そんなこと誰だって知っているはずなのに、
忘れたように生きている。
だから、永遠の愛などというありえもしないものが今生のどこかにあると誰もが信じて生きている。
そんなものあるって、君は信じてるの?
もうたいがい大人だっていうのに?
うん? 僕? 僕はどうかというとね……

日向がすきだニャ♪
僕たちは肉体に宿っているがゆえにさまざまな制約を受ける。
睡眠も食事もそのうちの一つだ。どちらも生存に欠くことができない。
余談だけれど、眠らない状態で、よりダメージを受けるのは肉体より脳だそうだ。
ひどい睡眠不足で立ったまま一瞬寝てしまって、膝カックンしちゃうのはそのせいかな? 体が起きてて、脳が睡眠を求める。確かに眠くておかしな言動をする人は見たことがあるけど、眠くて倒れた人は見たことがない。
セックスだって種の存続のためだし、近親交配を防ぐためにも細工がされている。
HLAと呼ばれる感情(愛情)に関わる遺伝子が存在しているのだけれど、それがある現象を引き起こす。
年頃の娘が父親の匂いを嫌う例のあれだッ。
洗濯物を一緒に洗うなっていう理不尽な扱い。身に降りかかる何という不条理。
あれはフェロモンのせいなんだね。
遺伝的に遠い人を好きになるように仕向けられてるんだ。だからおそろしく近い異性である父親の匂いを嫌うように設計されてる。だから大人になったり、結婚して子供が出来る頃にはそんなことなんてすっかり忘れてるんだ。
もし、年頃の娘さんが父親離れができない場合は……そこのお父さん! 気をつけなはれや……
それはさておき、これらのことは肉体に縛られているからしょうがない。でも、魂のレベルでいえば、縁があるから出会うのだし、だからこそ、別れてゆくことにもまた、意味があるのだと僕は思う。
男同士の友情。男女の愛情。もちろん親子の情もある。
出会うのも愛。分かれるのもまた愛。それはいつか交わした遠い約束だから。
この世に意味のない存在も、生も死も、出会いも別れもない。
さっき言いかけた言葉?
日向がすきだニャ♪ の後?
諸行は無常。咲いた桜はすぐに散り、やがて葉桜は枯れて舞い落ちる。
けれど、それを毎年咲かせる根っこや幹や枝があるのを僕たちは知っている。
要するに、不変のもの、永遠の愛を僕は信じてるってことさ。
ねぇ くるみ
時間が何もかも洗い連れ去ってくれれば
生きる事は実に容易い
Mr.Children「くるみ」
作詞/作曲 桜井和寿
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