柔らかな日差しとクミンの香る朝に 「14」 | 風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」

─朝に不似合いな食べ物─

「ハヤシライス?」
起き抜けでくぐもった声は、部屋の空気をゆらりとも動かした気配はなかった。再び枕に顔を埋めた私の鼻腔に、それでもやはり、香りが漂ってくる。

違う。ハヤシライスじゃなくてカレーだ。
そうか、カレーだったか。納得しかけた私に疑問がわいた。ハヤシライスとカレーって、香りは似て……ないんじゃないのか?
それにそもそも、カレーの香りなどするはずが……ないじゃないかと。

ぼんやりとする私の頭は、枕の上で夢の中を漂い始めた。
夢の中で私は、目覚めていた。



出勤の身支度を整えた私は、ダイニングテーブルに腰を下ろし、朝の食卓に似つかわしくないそれを、じっと見つめていた。
頭がもやもやとする。思い出せそうで思い出せない。のど元までそれが出かかっているのにその名前がついぞ出ない。そんなもどかしい感じに襲われていた。これはやはり歳のせいなのだろうか。

しかし、なぜ朝にビーフシチューなのだろう? 私はそれをなおも見つめた。

今日を最後と……

ん……なんだ?

ああ、そうだった。昨夜の夕食に私がリクエストしたビーフシチューだった。同僚と酒を飲みに行ってそれを食べなかったのだ。
それなら今夜の夕食に回せばいいものを、なぜ朝なんだろう?

今日を最後と……

今日を最後? 頭に浮かんだ言葉を反芻した。これなんだったっけ?

私はフォークを手に取った。今日を最後?

頭に去来する色んなことを思いながら、噛み締めながら、私はそれを食べた。美味しい。朝の出がけの突然のリクエストにもかかわらず、夕食にここまでの味に仕上げるとはやはり並の腕ではない。しかし、今は朝。私はフォークを置き妻に声をかけた。

「悪いな。美味しかったけど、朝からこれはちょっと食べきれないかな」
「いえ、こっちこそ。絵里から電話があったりしたものだから」
「絵里から? どうせまた、夫婦げんかの愚痴だろう?」
「それが」妻は意味ありげに微笑んだ。

今日を最後と思って……

「まだはっきりしないけど、妊娠したかもって」妻は自分のお腹をぐるぐると撫でた。
「本当か!」立ち上がった途端、椅子が音を立てた。これが妊娠なら初孫になる。
「いえいえ、はっきりしないんですよ。妊娠検査薬が微妙だって。だから、明日にでも病院に行くそうです」

「そうか。で、なんで今日じゃないんだ」座りなおした私はコーヒーを口に運んだ。興奮で心なしか手が震えた。

「ビーフシチューに日本茶は変だと思って、コーヒーにしました」
「うん大丈夫だ。いい味に淹れてある」
「豆を挽く時間もなくて、インスタントですけど」妻はにゅっと笑った。
インスタントか。私は少し、恥ずかしさを覚えた。まるで腕の悪いソムリエみたいだ。

「それに絵里は、今日はお友達と食事会ですって」
これはあたしのお昼ご飯。妻はそう言いながら、私の食べ残したビーフシチューを台所に運んで行った。




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