土曜日は仕事の用事で出かけてきたよ。
でね、お昼にラーメン屋さんに行ったんだ。
でね、でね、そこがまた、きちゃな~いラーメン屋さんでね。ま、食べ物は味が勝負!
って思いつつ、運ばれてきたた麺を一口すする……?……??????
ん? あ、あ、あ……そこの黄色いおいちゃん、こ、こ、こ、こいはなん?
なん? なん? なん?
なんか、重要なもんでも入れ忘れとっと? そいとも、具合でも悪かと?
では、率直な感想を。
味が……しない・・・(・∀・i)タラー・・・
不味いとかじゃなくて、味が、しない・・・(・∀・i)タラー・・・
一切れ入ったチャーシュー……不味い……
スープをすする気もしなかったけど、ま、せっかくだからすすってみた。
あ、あ、あ、やっぱり、味がしない・・・(・∀・i)タラー・・・
味がしないものを評価する言葉を僕は知らない。
ラーメンと餃子で堂々の900円でしたぁ~o(^▽^)oキャハハハ
あんなラーメン生まれて初めて食べた。ものすごい体験だったヾ(;´▽`A``ヾ フキフキ
でもまぁ、昨夜の台風で飛ばされんかっただけでも、良かったよぉ~
では、そのラーメン屋さんをご紹介。
東急目黒線の西小山駅からちょっと歩いたところにある「ラーメン村」
おいちゃん……黄色いTシャツのおいちゃん、あのラーメン、軽い犯罪よ、知っとっと?
マイタウンの駅前の立ち食いそば屋の360円のラーメンの方が100倍旨い!
で、その帰り久しぶりに駅のそばの本屋さんに寄りました。
で、「自分をえらんで生まれてきたよ」があったので、つい買っちゃいました。
で、で、そのお話です。
長い前振りヾ(;´▽`A``アセアセ
赤ちゃんが病気のときは、
「苦もあれば、後から楽もある」ということを、
神さまが、伝えてくれている。
だから、心配しなくていい。だいじょうぶ。
赤ちゃんが生まれたおうちには、必ず、楽がある。
というか、生きているものには、必ず、楽がある。
—理生(りお)君が9歳の時の言葉—
似たような諺とかはたくさんあって、たとえば、
〝苦あれば楽あり、楽あれば苦あり〟とか
〝禍福(かふく)は糾える(あざなえる)縄のごとし〟とか
〝人間万事塞翁が馬(じんかんばんじ さいおうがうま)〟とか、
これ中国の諺だけど、元々は「塞翁が馬」だけだったんだよ。中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれているんだ。後の元の時代のお坊さんの詩で人間万事がくっついたみたいだね。
普通に〝にんげん〟と読んでも間違いじゃないし、そう読まれることが多いんだけど、漢文で読むと〝じんかん〟。世の中、世間という意味だよ。
あ、そうだそうだ、〝人間至る所青山あり〟も「じんかん」だね。人間どこで死んでも、骨を埋める場所くらいはあるさ、恐れずに故郷飛び出して活躍しようぜ! という意味だね。
ついでだから、理数系の君のために、塞翁が馬を説明しておこうかな。
中国の北の方に占いに長けた老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでいて、国境には城塞がありました。老人はその城塞のそばに住んでいました。これが塞翁(とりでのおきな)と呼ばれるゆえんだね。
ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていっちゃいました(ノ△・。)
近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめました(*~ρ~)ノ(ToTw)ナデナデ
ところが老人は言いました。
「これが福にならないとも限らないよ」
ポジティブなおじいちゃんです。
そして数ヶ月たった頃、逃げ出した馬が胡の駿馬(良い馬)を連れて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言うと、老人は
「これが災いにならないとも限らないよ」
案外心配性なところもあるおじいちゃんです。
老人の家には良馬が増えました。老人の息子は乗馬を好むようになったのだけれど、馬から落ちて股(もも)の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがお見舞いを言うと、老人は言いました。
「これが福にならないとも限らないよ」
再びポジティブな姿勢に転じるおじいちゃんです。
1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、10人のうち9人までが戦死しました。ま、これは9割という意味だろうね。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。このように、禍は福となり、福は禍となるという変化は奥深く底知れない。なかなか見極めは出来ないよって意味なんだね。
これはとても、9歳の男の子が知っていそうな内容でもないよね。
楽しいときは、これがずっと続けばいいと思うし、苦しいときは、これが果てしなく続くんじゃないかと苦悩するのが人間だからね。
生まれながらに心臓と肺を患い、30回以上の入院、のべ2年に及ぶ入院生活で理生君が悟りを開いたというわけでもない。
生まれてくる前のことを覚えている子供は、まるで天地の理(ことわり)を知っているかのような言葉を発するんだね。それはとりもなおさず、魂は知っている。けれど、生まれてくるときに理由があって忘れる。ということの証明なのかもしれないね。
長くなったので、また次回(○´∀`)ノ゙
応援クリックポチッとお願いします。
にほんブログ村