ラプソディー・イン・ブルー 【7】 「エピローグ」 | 風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」


マンションの集合ポストを覗くと、カラフルな宅配ピザ屋のメニューに隠れるように定形外の大きめの封書が一通入っていた。表書きは「片倉和樹様」と丁寧な文字で書かれている。
裏を返して僕は鞄を落としそうになった。差出人の住所は世田谷区上北沢3丁目とある。京王線の上北沢だ。学生の頃友人が住んでいて何度か遊びに行ったことがある町だ。各駅停車しか止まらないらしく、電車がどんどん通過していくので困った記憶がある。
僕が鞄を落としそうになったのはほかでもない、差出人の名前だった。僕は急いで部屋に入り、封を開けるのももどかしく中身を見た。出てきたのはさらに一通の封書だった。


謹啓
初秋の侯
皆様におかれましてはお健やかにお過ごしのこととお慶び申し上げます。


そのとき携帯が鳴った。

「届いた?」
「はい?」
「もう着いてると思うんだけど。あ、まだ帰宅の途中だった?」
「えーと、間違い電話では?」
「何言ってるのよぉ」
「片倉ですが、間違い電話じゃないですか?」
「あたしもまだ片倉ですが」電話の向こうで鼻息が鳴った。

僕は、「あー」と間の抜けた声を出した。
「思いっきりの身内になんだけど、刷り上がりも見て欲しかったから一応送っておいたからあとで見てね。披露宴の二次会はおまかせだけど、何か企んだりしてないわよね」
この人はこんな声をしていたのか、こんないたずらっぽいしゃべり方をする人だったのか。
「あ、ううん」僕は肯定とも否定とも取れる返事をした。しらを切るもなにも、その出席者すら分かっていない。
「神崎君がさ、披露宴でも二次会でも、わきにはしゃべらすなってうるさいのよ。絶対変なことを言い出すって。これは伝言ね。俺は同僚とはいえおまえの義理の兄になる、黙ってろ、ですって」あははと電話の向こうで笑い声がする。

「でね、もし何かやらかしたら、わき、おまえの結婚式はぶっ壊す。だそうよ」
なるほど、それは取引としてはそつがない。僕も一つだけ伝言を頼んだ。
「きんじゃなくて、金(かね)の草鞋(わらじ)だからちゃんと覚えろって」
「なにそれ……あ~あたしのことね? まぁひとつ年上の女房じゃなくて4つも上だけどね」再びあははと笑い、
「食事はきちんとするのよ、お金はあるの?」と、母より思いやりを感じる言葉を残して電話は切れた。

僕は上着を脱ぎ、ベッドにダイブした。そして封書の裏書きの「片倉七海」と書かれた文字を何度も撫でた。鼻の奥がつんとした。僕は流れ出る涙を引き寄せたタオルケットで拭った。拭っても拭っても涙は溢れてきた。僕はきっと22年分の涙を流した。

ベッドにうずくまったまま僕はふと不安になった。今のは夢ではなかったのか。
バネ仕掛けの人形のように起き上がり、緩めたネクタイを引き抜き、手にした携帯電話の着信履歴からコールをした。

「なぁに、どうした」よかった、なっちゃんの声が返ってきた。
「ひとつ訊いていいかな」
「ひとつと言わずどうぞ」
「昔千葉の外房で、僕たち溺れかけたよね」
「うん、そうそう、大変だったわ」
「どんな様子だったっけ?」
「うーん、あたしが波にのまれた和君を見失って、パニックになって砂浜を見たけどお父さんとお母さんのいる場所が分からなくて。知らない間にあたしたち、ずいぶん砂浜を移動してたんだね。走っては転び走っては転ぶ和樹を追いかけてね」くっくっと姉は笑った。

「誰が助けてくれたの?」
「知らない人。あたしが助けを求めて、で、ついでにあたしも溺れたんだって、間抜けよね。でもさぁ、よくも二人も助けてくれたわよ」
「明叔父さんを覚えてる?」
「もちろん覚えてるわ。あまり鮮明ではないんだけど、とてもかわいがってもらった記憶がある。
でもさ、今の私より若かったんだよね。ひょっとすると和君と同じぐらいかもよ。でね」と少し言葉を切った。
「助けてくれた人、明叔父さんに似てたのよ。だからね、明叔父さんって叫んじゃった。かず君を助けてって、溺れちゃったって」

「単に似てるだけだった?」
「あたしの記憶違いだと思うんだけどねー、その人、なっちゃんって声を掛けてくれた気がするのよ」うーんと唸るような息を吐き、
「だからあたし、明叔父さんだと認識した気がするんだなー」と言ったまま黙り込んだ。
「でもあり得ないわね。叔父さん死んじゃってたし、お父さんにもお母さんにも確認したけど、海に行ったのはあたしたちだけだったんだって。
もちろん近所に親戚とかがいる場所じゃなかったから、あたしの名前を知ってる人なんているわけないのよね」

「その人、助けてくれた人だけど、助けたあと、どこに行っちゃったんだろう?」
「それがついに分からなかったらしいわ。警察も捜したし、地元誌でも報じられたけど、結局どこの誰かは分からずじまいだったのよ。あたしはね、あきらおじちゃんだ、あきらおじちゃんが助けてくれたんだって、ずっと言い張ってたらしいわ」
「叔父さん、僕に似てるかな?」
なっちゃんは、うーんと語尾を上げた。母と同じ反応だ、やはり似てはいないのだ。

「似てないと思う。叔父さんは顔も体もごつい感じの人だった。和君みたいな優男(やさおとこ)じゃなかったわ」
「三十路前でよかったね」
「ん?」
「結婚」
「ああ、そうね。和君が、ちょっと変だけどいい奴がいるって言ってくれたおかげだわ、ありがとう」

「なっちゃんさぁ」僕はベッドに腰掛けた。
「なぁに」
「なんていうか」僕はちょっと乾いた唇をなめた。
「初めて背負ったランドセルはどうだった? 重くなかった? 嬉しかった?」
「どうしたの急に」
「聞いてみたくてさ」
「そうねぇ、入学前から何度も背負ったわね、鏡の前でしつこいくらいに。それでね、母にその辺の本とか入れてもらって、お辞儀をしたら中身がドサッと落ちるのをやりたくてやったわ。父にはウケなかったけど」可笑しそうな笑い声がする。

「中学校は楽しかった? 高校生活はどうだった? 大学ではどう過ごしたの?」
「どうしたのよぉ」なっちゃんはそういったあと、楽しかったわよと笑った。
「僕たちはさぁ」
「うん」
「あれからずっと、仲のいい姉弟だった?」

今度もし夢であの坂道に立ったとしても、僕はもう動くまいと決めた。答えは明白、失敗は許されないからだ。
しかし、とまた違う考えも浮かぶ。僕が二人を助けなければどうなるのだろうと。
喧嘩もしたけど、仲のいい姉弟だったと思うわ、というなっちゃんの言葉をリフレインしながら僕はパソコンの前に座りヘッドフォンを取り上げた。

そのとき僕の心にどこからともなく奇妙な安心感が湧いてきた。なんの根拠もなかったけれど、僕はもう二度とあの場所に行くことはないのではと思えた。
もしもまたあの坂道に立つことがあったとしたら、そのとき僕がどう動くべきであるかは、迷い苦しまずとも、きっと明叔父さん決めてくれる。そんな気がした。僕とは似てもにつかない、顔も体もごつい明叔父さんが。

─FIN─



応援クリックポチッとお願いします。

にほんブログ村 小説ブログ 短編小説へ






レミオロメン 3月9日

作詞・作曲 藤巻亮太

流れる季節の真ん中で
ふと日の長さを感じます
せわしく過ぎる日々の中に
私とあなたで夢を描く

3月の風に想いをのせて
桜のつぼみは春へとつづきます

溢れ出す光の粒が
少しずつ朝を暖めます
大きなあくびをした後に
少し照れてるあなたの横で

新たな世界の入り口に立ち
気づいたことは一人じゃないってこと

瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらにいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私もそうでありたい

砂ぼこり運ぶつむじ風
洗濯物に絡まりますが
昼前の空の白い月は
なんだかきれいで見とれました

上手くはいかぬこともあるけれど
天を仰げばそれさえ小さくて

青い空は凛と澄んで
羊雲は静かに揺れる
花咲くを待つ喜びを
分かち合えるのであれば それは幸せ

この先も隣でそっと微笑んで

瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらにいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私もそうでありたい



$あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」