ひめゆりの塔の次に向かったのは、これまた戦争の被害者となった若者達の慰霊碑である、
健児の塔 である。
この健児の塔はとてもマイナーであり、ほとんど知られていないのではないだろうか。
しかし、この健児の塔もまた悲しい忘れてはいけない歴史を今に伝えている。
簡単に言うならば、ひめゆりの塔男子版である。ひめゆり隊の少女達と同い年の少年達で編成された鉄血勤皇隊を弔っている。
彼ら沖縄健児達は、10代半ばという若さで日本軍の戦闘員として戦場に駆り出された。
陣地や壕を掘ることなどが主な仕事であったようだが、沖縄戦末期になると最前線で戦わされたり、特攻作戦も行っていた。背中に爆弾を背負い、そのまま敵陣まで走り込んで自爆攻撃をしていたそう。一度に何人も走らせ、一人が到達すればいいという考えで、まるで物のように扱われた健児達は、その若い命を戦場にて散らさなければならなかった。
また戦闘員であるため、投降にすぐに従わない場合、米軍の火炎放射の犠牲になる健児達もいたそうだ。
何とも痛ましい、悲惨な歴史である。
戦争というのは、どうしてこうも人を残酷にすることが出来るのだろうか。
健児の塔は、海辺の崖の中腹にあった。特に駐車場や売店などもなく、ちょっとした広場に車を停めるような感じだ。もちろん資料館などは無いし、案内の看板すら無い。
本当に合っているのか不安になりながら、崖を下る階段へと進んでいった。
思ったより長い道のりである。
途中、3つ程健児の塔ではない慰霊碑があった。
それぞれ想いと悲しみがあるのだろう。しかし、あまり人の目に触れず、ひっそりと佇む慰霊碑に切なさを覚えた。
その道の一番奥にしっかりとした、立派な慰霊碑がある。
沖縄師範健児の塔 である。
これは後から作られた物らしく、最初に作られた健児の塔は、その横にちょこんと建っている小さな石碑である。
この健児の塔とひめゆりの塔を建てた人は同じだそう。
その塔の裏側へと回ると、そのまま森の奥に下っていく道がある。
その道を進んでいくとガマと呼ばれる天然の洞窟が口を開けていた。中は真っ暗である。
周りも木々がうっそうとしており、薄暗い。少しひんやりとした空気が流れている。
素直に言うなら不気味な雰囲気さえある。
そのガマは鉄血勤皇隊の健児達が、米軍に追い詰められ、集団自決した場所である。
真っ暗なガマの中を携帯のライトで照らしながら入っていくと、コンクリートで壁が作られている。その壁を照らしてみると、そこには文字が刻まれていた。
このガマはそのまま健児達の遺骨が納められており、納骨堂としてあった。
健児達の苦しみを想うと、胸が苦しくなってくる。
そっと手を合わし、静かにその場を後にした。
ここから次の目的地へと向かうのだが、今日の全行程の全てを回ることが不可能な時間帯になってきた。
予定していた行き先は、玉泉洞、斎場御嶽、久高島である。
相談した結果、久高島は船で渡らなければならず、5時頃には復路の船が終わってしまうため、帰れなくなる危険があり、この時間から渡っても忙しくなってしまうとのことで、久高島は断念することに。
琉球王朝では聖域とされ、ニライカナイに続く島とされた久高島。島内には琉球王朝時代の遺跡や祭壇が多く、最も神聖とされる場所は国王以外の男子禁制なのだそう。
そんな島で、私はイラブーを食べようと決めていたのだ。
イラブーをご存知だろうか?イラブーとは近海で捕れる海蛇のことだ。ウミヘビを干して燻製にした沖縄のご当地食材である。
那覇の公設市場にも黒く燻製された、さながら干からびた様なウミヘビが吊るされて売っている。
久高島ではそのイラブーを食べさせてくれる飯屋さんが在るそうだ。
イラブーは次の機会に取っておくこととした。まだ味わったことの無いウミヘビを食べることが出来ないと思うと、至極残念ではあったが、好奇心と探求心から離れた理性の何処かがホッと安心していたのは、本当である。
次なる目的地、玉泉洞はおきなわワールドというテーマパークの中にある。伝統的な民家や植物園等があり、琉球ガラスや三線の体験などが出来る。
しかし、私達の今日の目的は文化体験ではないので、それらには寄らず玉泉洞だけ行くことにしていた。
だが、久高島を諦めたこともあり少し時間に余裕があった為、玉泉洞を出て時間があったら見て回ろう。
等と話していた車中、いきなり大雨が降ってきた。
これが南国特有のスコールと言うものであろう。
道路は一気に川と化し、フロントガラスは滝となっていた。
きっとすぐ止むだろうと、首里のオジーもそんなこと言っていたと話しているうちに、豪雨の中おきなわワールドへと到着した。雨は弱まる気配すら無い。ゲリラ豪雨さながらの大雨である。
砂利の駐車場に車を停めると、そこはもう沼と化していた。
傘など無い、出てくるときは晴天であった。
意を決した二人は豪雨の中飛び出し、屋根のある場所まで懸命に走る。
スニーカーがびしょびしょになるのもいとわず走った。長い。100メートルぐらい走った。
やっとの思いで屋根のあるチケット売り場にたどり着くと、もはや全身ずぶ濡れである。
ここまで来たら進むしかない。チケットを購入し、そのまま玉泉洞へと向かった。
初めての鍾乳洞である。いつか行ってみたいと思っていたので、天井からいくつも垂れ下がる鍾乳石には感動した。
中はかなりジメッとしており、気温もそこそこ高い。メガネが曇ってしまうほどだ。
鍾乳洞の表面はテラテラと光り、鍾乳石の先端からピチョンピチョンと水が滴り落ちている。
底を綺麗な水が豊富に流れており、川になっていた。
年々成長する鍾乳石は、鉄の柵をも飲み込みながら一体となっていたり、高い天井から気をつけて歩かないと頭をぶつけてしまうほどの長さに成長しているものもある。
大きな鍾乳石には名前が付いており、綺麗にライトアップされていた。
何十万年という時間をかけて自然が作り上げた、この東洋一の洞窟は、異世界に来たかのような気分にさせてくれる。
そして自然の雄大さに、人はただ感嘆の声をあげるしかない。
流れている水はひんやりと冷たく、所々で滝を作って涼しげな音を奏でている。
その水の中に小さな魚や、海老などが棲んでいた。
一際水の音が大きな場所に着くと、玉泉洞の目玉である天然の石のダムがあった。
結構水深の有りそうなダムから溢れ出る水は、クリーム色のツルツルとした緩やかな丸みを帯びた岩の上を流れ落ちていく。
ダムの中に飛び込んだらどんなに気持ちいいだろうかと思うほど、それは水と岩が織り成す芸術であった。
しかしこの鍾乳洞は、見学できるところは全体の一部分に過ぎないが、東洋一大きな鍾乳洞である、なかなか出口に辿り着かない。
雨で濡れた服と靴は、洞窟の湿気と汗で全く水分が飛んでいかない。むしろ滴ってくる水で更に濡れたようにも思える。
後半は若干の早足になりながら出口まで来たときには、外の雨はもう止んでいた。
出口がそのまま植物園になっていたので、亜熱帯気候の植物を眺めながら、あれはなんだろう?なんて話ながら進んでいく。
思ったより玉泉洞が長かった為、あまり他の見学の時間は取れなかったが、とりあえず一服とパイナップルソフトクリームを食べて一休み。
せっかくだからお土産屋さんも見ていくことにした。
お土産屋さんに向かう間、おきなわワールドはいろんな所から三線の音色が聴こえてくる。沖縄感満載ののんびりとした空気が流れていた。
お土産屋さんでお土産を物色していると、ハブ酒の試飲を勧められた。
初めて飲むハブ酒である。このハブ酒も沖縄で味わってみたい物の一つであった。毒蛇のハブを泡盛に丸々漬け込んだものだ。
ちっちゃいカップにちょこっとだけハブ酒を注がれる。
ちょっと少ないなぁなんて思ったが、それをクイッと飲んでみた。
思わず目を見開いてしまった、ものすごい衝撃である。
薬草酒よりもかなりパワフルである。味がというか、その物自体のパワーが凄いのだ。ビックリしてしまった。
味自体は美味しくない。薬草酒のように独特な臭みもある。やっぱり精力剤として、薬として飲むものなのだろう。
少ししか飲んでいないのに、すぐ体がポッポと熱くなってきた。
恐るべしハブ、アカマムシなど比べ物にならないパワーである。
とは言ったものの、私はアカマムシにお世話になったことは無いため、ただの想像ですが…
アカマムシに頼らずともまだ私は元気です。
お土産も買い、気付くと服も乾いてきたので、最後の目的地、斎場御嶽へと向かった。
斎場御嶽(せーふぁうたき)とは、神聖な島、久高島を望む高台にある琉球王朝の遺跡である。
国王の即位や、宗教行事を行っていた神聖な場所であるらしい。そして過去にはここも国王以外の男子禁制だった場所だそうだ。
それにしても斎場御嶽をせーふぁうたきと読むには日本語の感覚を無くさないと読めない。私は読み方が解らず、さいじょうごごくとずっと呼んでいた。
斎場御嶽は森の中に、岩で出来た祭壇が何ヵ所かある。
見た限りでは、神体や仏像のようなシンボルは特に無く、どの様に祈っていたのだろうか。
また、祭壇の上段は今でも男性立ち入り禁止の所があった。
文化であるし、信仰の場所であるからそういうのはしっかり守りたい。女性も露出を控えた服装が好ましいそうだ。
キリスト教徒じゃないからといって、十字架を引っこ抜いてバット代わりにしないのと同じように、彼らの聖地を汚さないようにするのは常識であり、礼儀であろう。
一通り見学し戻っていると、石畳の横に窪みに水が溜まった水溜まりの様な、池のような物があるのに気が付いた。
そこに立っている立札には、その窪みは米軍の艦砲射撃による着弾の跡だという。
やはり沖縄の歴史には、太平洋戦争が関わってくるのだ。
最後の斎場御嶽も見終わり、今日の目的は達した。
せっかくだから行けなかった久高島が見える浜で一服していこうと海岸沿いを走る。
どうやらこの知念辺りは漁師の町なのか、砂浜は無く、小さな漁港の様なものが点々とあった。
適当に港の方に降りていき、護岸に腰を掛け、一服していた。
この太平洋に面するこの東側の海は、海草が多いようで東シナ海に面する西側の透明な海と違い、濁っていた。そして潮の匂いというものがする。
だから東側に漁師が居るのだろう。海草が生えるというのは、海に栄養があるということ。海に栄養があればプランクトンが増え、魚が集まる。
しかし、潮の流れの影響なのだろうか、外国の文字で書かれたゴミが漂着していた。
いま沖縄では漂着物のゴミが問題になっているそうだ。
空も次第に晴れて来て、日もかなり傾いてきた。
すると元板さんが、那覇空港近くの橋で渡れる瀬長島に行かないかと、そこから見る海に沈んでいく夕陽がとても綺麗なんだそう。
もう辺りは夕景になっており、間に合うかわからないけど、行ってみようということになり、瀬長島へと急いだ。