職場の廊下にいくつかのポスターが掲示されているのだけれど
その中のひとつに書かれている、「人はみな生かされて生きていく」
という言葉が好きだ
人は誰かを一方的に支えているのではない
相手からも支えてもらっているということ
例え年老いたり、病気になったりしていろんな力が奪われていったとしても
死ぬ間際まで誰かを支える力をもっているのだということ
そして、人は誰かと繋がっているという思いがあれば
希望を失わず生きていくことができるのだということ
そのことを忘れないように
ポスターを見るたびにいつもその言葉を自分の心に言い聞かせている
私の今の仕事は人の話を「聴く」ことから始まる
その人の今まで生きてきた人生について
その人の「語り」に耳を傾ける
悲しみや苦しみの体験を心に抱えている人もいる
心の中にある悲しみを
ただ吐き出すだけでなく
そこに何か新たな意味を見いだすことで
人は悲しみから解放されていく
人は思いを聴いてもらうことを通して
苦しみを乗り越える力を得ることができるのだと感じている
仕事の研修で佐藤泰子さんという方から興味深い話を聞いた
寄り添うとは同じ方向を向いて相手の思いをそっと受け止め
その人の固まった心をほぐすことなのだと
向き合うとは相手と向かい合って相手の思いを同じ力で支えること
どちらかの力が強すぎると支えきれなくて倒れてしまう
人は誰かに自分をわかってほしいという思いを持っている
だから、相手に寄り添って気持ちを受け止めることがとても大切になるのだと
私は人にきちんと寄り添えているだろうか
向き合えているだろうか
そう感じた研修だった
人は誰でも多かれ少なかれ苦しみを抱えて生きている
苦しみを解放するためには
思いを言葉にして語ること
そしてその語りを誰かに聴いてもらうことが必要である
「話す」ことは「離す」ことであり「放す」こと
苦しみを言葉にすることで
ばらばらでまとまりのなかった思考がすり合わされ再構築される
そして、苦しみの語りから新しい意味を得るためには
聴いてくれる誰かの存在が不可欠であるのだ
それぞれ別の人生を生きている私たちの感じ方は同じではないから
誰かの思いを完全に理解することは不可能であり
人と人の間には深い深い溝がある
だから時にはどうしようもない孤独感に立ちすくむこともあるけれど
だからこそお互いに分かり合いたいと手を伸ばす
それがともに生きるということであり
分かろうとしてくれる相手の気持ちに人は救われるのだろう
この美しい星空の景色を見ながら
たくさんの人があの日の夜空に想いを馳せたのだろう
東日本大震災から明日で6年
かけがえのない命や大切なものが一瞬で奪われたあの日
あの日に生まれたたくさんの苦しみと悲しみ
6年の歳月の歩みはその苦しみや悲しみを薄れさせてくれたのだろうか
私達は他者とのつながりの中でしか生きられません
苦しみが言葉と共にあるなら
誰かに聴いてほしかったでしょう
その時、誰かが聴いてくれましたか
語れなくても誰かがそばにいてくれましたか
周囲で苦しんでいる人の苦しい表現を聴いてあげましたか
周囲で苦しんでいる人のそばにいてあげましたか
表現に託された思いのすべては受け取りきれていないでしょう
それでも、まなざし、聴いてあげてください
まなざし、聴くことは救いとなるのです
語ること、表現することは、希望に繋がる道なのです
苦しみは苦しいだけではありません
幸せは苦しみの背中に張りついています
苦しみと背中合わせの幸せは、見る位置と方向を変えなければ絶対に見えないのです
見る位置と方向を変えるとき、思考が関わります
思考が関わるということには言葉が大きく関わっています
とすれば、言葉は苦しみを生み出すけれど
幸せも呼び起こしてくれるものでもあるのです
私たちは、言葉を道具として幸せを「観る」のです
言葉を超えた表現によって幸せを「感じる」のです
(中略)
この身に起こった事実は苦しい
それに向き合う生き方を自己のありようを
支えてくれた誰かに「ありがとう」と言えたとき、
真の解放があるのでしょう
~佐藤泰子氏の著書より一部抜粋~
今苦しみの中にいる人たちの傍に
寄り添い聴いてくれる誰かの存在があり
苦しい思いを語ることで少しずつでもその苦しみを放していければいいのにと願う
そして、私もまなざしを添えて誰かの思いに耳を傾け
共にありたいと願う




