負うた子に浅瀬を教えられ | 意識が世界を創っている

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心と身体のつながりを日々研究中
面白いことをみつけたら不定期でつぶやいています

今年もうすぐ24歳になる長男が1歳のお誕生日の頃の話です

当時は沖縄の離島に住んでいました

海が大好きで「海へ行くよ〜」と言うと何をしていても喜び勇んで私の元に急いでハイハイして寄ってきたものです 

ところがある日、いつものように「海に行くよ〜」と声をかけても彼が動きません

 

「どうした?海だよ?」と声をかけても下を向いてイヤイヤをする

なんだろう?お昼はたくさん食べてお昼寝もして

起きてからおやつも食べて、そのうえウンチもしてコンデションはバッチリ!

(沖縄は日差しが強いので海で遊ぶのは日が傾いた夕方から)

 

こりゃもう海で遊ぶしかないでしょ!

 

多少強引かなと思ったけど、海に着けば気が変わるだろうと

全身で抵抗して泣きわめく長男を車に放り込み出発

 

車中でも泣いて泣いて 

途中さすがにちょっと気になってどこか痛いのか?と全身をくまなくチェックしても何もない

 

そして到着

 

その頃には彼も泣きやんで私と海に入って遊び始めた時

 

「ぎゃー!!!えーん

今度は今まで一度も聞いたことのないような声で絶叫💦

泣き叫び始めました

 

びっくりして長男を抱き上げたら!!!

 

彼の右足に巻きついているク・ラ・ゲ!!!

沖縄で幼い子供の命を危険にさらす悪名高いハブクラゲ

 

なぜ?どうして?!ガーン

 

ちゃんとハブクラゲネットの内側だったのに!

とにかくもうショックで抱え上げたまま駐車場にダッシュ!

 

もう私もパニクって「ごめんっ!ごめんねっ!」と謝りながら泣きながら

海に行く時は必ず準備していた食酢を車から取り出し長男の足にかけ

触手をできるだけ手早く外していく・・・

そして救急外来へ笑い泣き

 

 

胸のつぶれる思いで帰宅して

出発前に長男が遊んだままになっていたおもちゃを片付けていた時

 

あれほど大好きな海を今日はとても嫌がっていたなショボーン  

 

と気づきました

(全くもって鈍感なひどい母親だ)

 

それからです

子供たちの訴えに真摯に耳を傾け始めたのは

 

大人の常識で考えると

「そんなまさか!」っていうことも子供たちの言うことに添ってみると

「あーそうかやっぱり、よかったね」ってなることが増えていきました

 

そもそも「常識」というのはある時代におけるある国の中の一部の人にとっての当たり前

その一部の人たちから少しでも外れればその常識はたちまち常識でなくなることもままあること

それだけ実に限定的なものだということ

その常識に絡め取られていくにつれて心眼はくもりがちだなと実感しました

 

私たちは幼い子供ほど「言ってもどうせ理解できない」と思い込んでいます

だから私自身、いやがる長男にきちんと向き合わず強引に海へ連れて行ってしまった

 

誤解を怖れずに言ってしまうと

子供たちは深く広く物事を把握しています

 

子供の感覚を無視しないで

子供は大人のように「その国のその時代のその瞬間の常識」に染まっていないぶん

フラットな位置にいます

つまり真実を見抜く目をくもらせていない

 

 

電話での医療相談を受けていた時、お母さん方からよくいただいた悩みの一つに離乳食を食べてくれないというのがありました(いや実に多かったです真顔

巷に出ている育児本に計画的な離乳食などが載っていてそれに沿っていないと自分の子供はどうにかなってしまうのではないかと不安に駆られている

 

その気持ちよ〜くわかります、わかりますが・・・

 

子供は子供の都合でその時その離乳食を食べたくないのです

食べたくないのを無理に食べさせようと食事の工夫などもあれこれ載っていますが

出したものを食べない自由を子供から奪わないでほしい

そこからもう尊重してあげてほしい、子供の感覚に敬意を払ってあげてほしいと思います

 

子供がそれを食べたくない、あるいは食べたいものを食べる

そこに間違いはないのです

 

子供に離乳食を食べさせたい自由が親にはある

それを食べない自由も子供にもある

それをなんとか食べさせようとするのは子供をコントロールしようとする親のエゴです

もちろんエゴを押しつける自由も親にはあるっちゃあるが・・・

 

親のエゴをずっと押し付けられていると

自分一人では生きていけない という考えを洗脳的に植え付けられていきます

それはやがて

自分は未熟だ

自分は間違える

自分は無明だ だから親の承認が必要だ となっていきます

 

 

細かいレベルからきちんと子供の感覚を尊重していく

 

母:「今日の夕食はシチュー、私が食べたかったから作ったの」

子:「僕は今日お茶漬けを食べたい気分、シチューはいらないよ」

 

これでOK!

「そんなの許していたらわがままな子供になっちゃう!」

と言った人がいました

 

それはむしろ逆だと私は思っていて

どこまでも自分の意見を尊重されてどこまでも自由を与えられた時

知らず知らずのうちに人はその身のうちに他者への思いやりを育む

だからそうやって育てられた子供たちが成長した時、本当の意味での優しい社会となっていく

 

私はそう信じています

 

 

負うた子に教えられて浅瀬を渡る

(負うた子に浅瀬を教えられ)

 

私は4つの魂から教えられ導かれないと気づけない愚鈍な奴だけど

 

出会ってくれた魂に感謝爆  笑爆  笑

そしてそんな愚鈍な自分を真剣に愛してる爆  笑

長男よ、あの時はマジでごめん(^_^;)ハブクラゲの跡は今でも残ってる( ;  ; )