病と気の関係 | 意識が世界を創っている

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心と身体のつながりを日々研究中
面白いことをみつけたら不定期でつぶやいています

 

私たちは

”病” や ”病気” という時

どんなイメージを持つでしょうか?

 

もちろん一言に病気と言っても

「ちょっと風邪気味」 から

命を脅かすほどのものまでいろいろですが

 

やはり少しネガティブなイメージを持ちますよね

 

"病気"というだけでなんだか自由がきかない感じ

自分では思い通りにならないことのようにも思えるし

なかなかプラスとして捉えられません

 

ここでちょっと気に留めていただきたいのは

『 "病は気から" は本当だ』ということです

昔から言い古されている言葉で日本人なら誰でも知っていますが

ただ

これが実は全ての病気に当てはまるのだということまで意識できている方は

どれほどいらっしゃるでしょうか

 

私たちは日々、様々な事象の中に生きています

 

事象とは外側では自分が遭遇する出来事であり

内側では身のうちにわき起こる感情や感覚だったり・・・これらはすべて情報です

 

つまり人間は常に内外からの情報にさらされていて

その情報の中には自身にとって好ましいものとそうでないものが当然あって

意識的、無意識的に

一瞬一瞬その情報の取捨選択をしています

 

そしてなんと素晴らしいことに

情報の取捨選択判断において最も優先されるべき項目は

その人自身をよりよく生かすことです

 

私たちは(意識的にも無意識的にも)

自身の身体をよりよく生き残らせるために様々な戦略を常に練っているのです

 

 

例えば

ある仕事に就いた 自分はこの仕事が好きだと思って頑張っている

ある時から胸に鋭い痛みが走るようになった

病院でもさっぱり原因はわからない

痛み止めを飲んでもマッサージをしても治らない

 

仕事中も痛みに悩まされるためイライラするようになった

小さなミスをするようになり仕事の流れが滞るようになった

会社にいづらくなった

 

精密検査のため入院することになった

結局原因は不明となったが入院中は少し痛みが和らいでいた

 

でも好きな仕事に早く戻りたい

仕事に戻ったら痛みがぶり返した

 

その後ほどなくして仕事を辞めることになった

 

痛みがなくなった・・・

 

仕事を辞めた時に

ずっと続けていた趣味が自分の本当にやりたいことだったと気付き

それを仕事にしてみたら大成功した

 

今も胸の痛みは再発していない

 

という例があったとします。

 

 

こういう大まかで俯瞰的なストーリーを見ると

なるほどね〜仕事辞めて良かったね  となりますが

実生活はこれほどスッキリとはできていませんから

 

経済的な面や家族、職場などの人間関係、自分のこだわりなど

様々な事情が絡み合いすぐに解決とはいきません

 

上の例では単なる『痛み』としましたが

ここで本当の病気となってしまうのはよくあることで

「自分はこの仕事じゃない!」という身体からの信号が

どう発せられるかという違いに過ぎません

 

そんなことも

病は気から の一つの現れだと私は考えています

 

ではどうしたら身体からの信号を早く正確に知ることができるか

それは

身体をゆるめて本来の自分に戻るべく歪みを取っていけば気づけるようになるのです

 

「ある仕事に就いた 自分はこの仕事が好きだと思って頑張っている」のは

自分は心の底からその仕事が好きだと思っていてもその中には

(せっかく就職したのだからここで頑張る、家のローンもあるし家族も守らなくちゃ)

だったり

(前の仕事を辞めた時に同級生から馬鹿にされた、見返してやる)

だったりがある

それらは意識にのぼってこなくて「この仕事が好き」だと思っている

 

しかし本来の自分の在り方とはズレている

それを自分の中のどこかが知っていて本流に戻そうとした結果が頑固な痛み

 

場合によっては

病気を作ってそこにストレスなど全部を投げ込むことでその生体が生き続けてこられた

ということもありますが(これはまた別の機会に)

 

とにかく私達の身体(肉体と意識)は

そうやって私たち自身をうまく活かすために実にうまくやってくれているのだと

そのあらわれの一端が病気であるのだということを

ちょっと頭の片隅に置いてもらえると

病気への多角的なアプローチが見えてくることもあるのではと思います