『いろは』
2026/日本/96分
@UPLINK京都/平日13:35〜/観客15人
¥1,100-会員料金
セリフで回収しない。
感情を言葉で固定しすぎない。
役者に説明的な芝居をさせない。
ロングショットで、人物と空気を同じ重さで置いていく。
わからせるより、
感じさせることを信じてる映画。
長崎。実家の茶舗を手伝いながら、将来も恋愛もどこか他人事のまま生きている伊呂波。
そこへ5年ぶりに帰ってきた姉・花蓮が、「妊娠した。でも父親が誰かわからない」と告げる。
父親候補の男たちを訪ねる旅に、半ば強引に付き合わされるロードムービーだ。
ただ、この映画の本当の移動は“父親探し”ではなく、いろは自身の内面の変化なのだと思う。
途中で二度立ち寄ることになる、二人の姉妹が切り盛りする旅館が象徴的だった。
一度目は、ただ通り過ぎる場所。
でも、父親探しに付き合い、さまざまな人間の弱さや寂しさ、そして姉自身の孤独に触れたあとで迎える二度目は、もう違って見える。
風呂キャンが常だったいろはは風呂に入り、朝早く起き、朝食を食べる。
それだけのことなのに、「自分を雑に扱わなくなる」という小さな変化が、静かに映っている
父親が誰なのか。
これから姉妹がどう生きるのか。
映画は最後まで答えを置いていかない。
ただ、助手席のいろはが、差し込む朝の光の中で、劇中ではじめて笑うラスト。
その笑顔だけで十分だと思えた。
人生が解決したわけじゃない。
でも、昨日までより少しだけ、自分の人生の中に戻ってきたような顔だった。
僕はこういう作品が好きだ。
たぶん何度も観る。
監督・横尾初喜、脚本・藤井香織。
『こん、こん』のタッグらしい、余白を信じる強さが確かにあった。
