「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を退屈だと書いたレビューに色々と反応があり、そもそもについて考えを深めてみた。

映画が好きだけど、たぶん、映画に「わかりやすさ」や「親切さ」を求めなくなったのだと思う。 
説明が続く映画、音楽で感情を誘導される映画には、どうしても距離を感じる。 泣かせようとしてくる瞬間に、涙よりも先に構造が見えてしまう。

好きな映画を並べると、その傾向ははっきりしている。 「2001年宇宙の旅」「狼たちの午後」「ミッドナイトクロス」。 直近なら「決断するとき」や「オーロラの涙」。 

主人公に共感できるかどうかは、もう重要ではない。 説明されない世界を、そのまま引き受けさせられる感覚が好きだ。

だから。 「ターミネーター」は2より1、 「エイリアン」も2より1がいい。 世界が整理される前、まだ不安と恐怖が支配している段階に惹かれる。

また、多くの人に愛されている映画に乗れないこともある。 「フォレスト・ガンプ」 「ニュー・シネマ・パラダイス」 「ショーシャンクの空に」 など。嫌いなわけではない。ただ、信じることを促される感触が合わない。

そんな僕が完全に打ちのめされた映画がある。
 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」。
説明はほとんどなく、感情を代弁する言葉もない。 ただ運動とリズムと暴力が、こちらの身体を直接つかんでくる。 物語ではなく、現象として映画を浴びた感覚だった。

ひねくれているのか、と考えることはある。
でもたぶん違う。 
長く映画を観てきて、 「何を与えられるか」より 「何を受け取るか」を自分で決めたいだけなのだと思う。
映画には、まだ説明されないまま存在していてほしい。