私の母親は、本当に我慢強い人です。
嫌なことでも、誰かのために自分を犠牲にできる人です。
悪い部分は、溜め込んでしまうこと。
ひとりでこなそうとして、パンクしてしまうこと。
年寄りを施設に預けることは、まだまだ暗い印象がある現実。
場所は違えど、そんな母の気持ちを後押しした「肩書き」のお話です。
前置き
ばあちゃんが入院して、認知症状にますます拍車がかかったじいちゃん。
母のそばを離れようとせず、母を求めてさまよい歩きます(※1下記)。
眠前に、睡眠薬と安定剤を内服しますが、じいちゃんの精神状態によっては12時頃まで寝つきが悪いこともあります。
また、朝方早く目を覚まして母親を探すこともありました。
朝5時にかかって来た電話
ある日の朝5時。
実家から私の携帯に電話が鳴りました。
何かあった
⁉︎と焦る私。
電話の相手はじいちゃんでした。
じ「家に誰もいねんさの。お母さんも父も、おじちゃんにも電話したども誰もでねんさ。みんなどこいったろ?お前、お母さんに電話してみてくれないか?」
と。
朝5時。
みんな寝てますね
。
急いで母に電話をして、対応してもらいました。
じいちゃんはどうやら、夕方だと思っていたそうです。
いくら認知症とはいえ、不安になっているじいちゃんを想像すると、本当に切なくなります。
日中に寝て過ごすことが多いじいちゃんは、こうして朝と夜を間違えることが増えたそうです。
事故が起きてからでは遅い
昼夜逆転傾向も見られ、夜中に1人で起きて転んだり怪我をされては大変です。
家に誰もいないと思って、探しに出歩く可能性もあります。
事故は、可能性がある限り、未然に防ぐ必要があります。
それは、じいちゃんのためだけでなく、介護している人の責任軽減の目的もあります。
事故が起こると、いくらじいちゃんが悪い、または、仕方がないとはいえ、介護者は責任を感じます。
その責任が、今後、介護者にとってプラスに働いていくとは考え難いです。
(仕事の現場とは話が違います)
特に、母のような性格の場合、事故が恐怖やトラウマになってしまう前に、少しでも外部サポートの介入が必要だと思いました。
過去のブログでもお話しましたが、母のストレスが振り切れていること・事故の可能性を含めて、ケアマネと入院の話を詰めてきました。
入院させる=介護しないではない
在宅介護は、とても難しいことだと思います。
家族全員の “理解と協力” 、そして相手に対するある程度の “妥協と割り切り” が必要です。
お金と時間が限りなくあって、全生活を介護に向けることができたら最高かもしれないですね(笑)
しかし我が家は一般的な家庭なので、そんなことはできません。
在宅で介護していく以上、どこかで今回のようなお泊まりが必要になって来るのだと感じさせられました。
そしてこの先も同様に、様々な介護サービスを使っていくことになるのだと、改めて実感しました。
それは、介護しないということではなく、介護していくために必要なサポートなのであるということを、再確認と自分に納得させられる出来事でした。
じいちゃんにどのサービスを使ってもらうかと検討した時に、3つの案が出ました。
①毎日デイサービス
②ショートステイ
③入院
結果的に③入院になりました。
理由は以下のとおりです。
毎日デーサイビス
→毎日同じデイを利用することができず、環境の変化から混乱を生じる恐れがあった。また、毎朝の送り出しで拒否することがあり、母がその拒否に対して対応しかねている。そのためこの案はボツ✖️
ショートステイ
→単純に抵抗があったボツ✖️
入院
→ショートと何が違う?と考えた時に、“医療”と“介護”という肩書きの違いが、家族側の気持ちの落とし所となった。
これは介護者側の気持ちの問題であるために、わかる人にはわかると思います。
入院までの母の葛藤
母は「自宅で面倒診ない」ということに対して、非常に…非常に抵抗があったみたいです。
もちろん私も同様です。
病気と違って、介護はできるだけ自宅で診たいという気持ちは、家族なら誰しもが持つ気持ちなのではないでしょうか。
(認知症も病気だよということは、後ほど登場します)
母は、ばあちゃんが帰ってくる間、できるだけ自分で面倒を診ようと思っていたと思います。
情にもろい母は、不安や混乱を抱えているじいちゃんを一時的だとしても家から出すことをためらっていました。
じいちゃんを面倒みるため、ひとりでは対応しきれないために、私にも実家に残って欲しいと言っていました。
(残ることを選べずに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです)
じいちゃんと上手く生活できるように、工夫※2もしていました。
もとより、じいちゃんを出すことは、ばあちゃんも親戚も、そして私もいい顔をしなかったということもあります。
そんな家族の圧力や自分の気持ちの浮き沈みに耐えながら、入院させるかどうか、葛藤していました。
入院という肩書きが良かったことと、認知症は病気であること
先ほどにも書きましたが、“医療”と“介護”という肩書きの違いが、母の背中を後押ししました。
じいちゃんの症状に拍車がかかって、それを主治医に相談した際も、
主治医「ばあちゃんが不在になったことで不安や混乱が大きくなり、症状が大きくなったのだろう」
という見解がありました。
認知症は病気であり、症状も病気からくるものである。
そして、病気なんだから入院して症状の改善に努めることは問題ではない!
ちょっと考え方が古い気もますが、そんな肩書きの違いで、フッと落とし込まれることもあるのです。
母も、そしてその他の家族も、その意見で、じいちゃんを入院させることができました。
(親類や他兄弟の本心はわかりません。あくまでも私の見解ですが…)
急に強気な母〜余談〜
じいちゃんの入院がほぼ決まりかけている時期。
そして、認知症は病気である!とインプットされた時期。
母はちょっと強気になりました(笑)
じいちゃんが今の現状なのに入院に反対する人がいたら、家族全員に1日ずつ交代で面倒診てもらおうと思っていたそうです。
早急に家族会議を開く予定を企てていたそうです(笑)
じいちゃん入院の日
メイン介護者である母。
父。
認知症当事者のじいちゃん。
この3人で病院へ出向きました。
病院へは入院が決まるまで、じいちゃんの症状の相談に来ており、主治医にはケアマネからも連絡が入っています。
内服薬の調整入院も視野に入れて、今後のことを話してきました。
入院することが決まり、3人で来て欲しいと主治医に言われて、3人で病院へ行きました。
じいちゃんに上手く話す主治医と、返事だけは立派なじいちゃん
主治医「奥さんが入院して不安ですね、心配なことも多いですね。その不安を少しでも改善できるように、入院しましょう。」
的な感じで、先生はじいちゃんに話してくれました。
さすが認知症専門医です![]()
![]()
![]()
じ「はい
はい
」
と、いつも返事は立派なじいちゃん。
こうして、無事にじいちゃんは入院することになりました。
サービス利用を使うために、思考の方向転換を行う。
今の時代、様々な在宅支援サービスがあると思います。
介護保険内だけでなく、地域支援なども含めて、外部に協力してもらう体制を整えることは非常に大切です。
その時に、介護の導入を懸念される方も多いと思います。
そんな時には、考え方を転換させてみることもひとつの方法です。
サービスに対して暗いイメージがあるのなら、今回の母のようにちょっとした肩書きの違いだけで利用に繋げられることもあるかと思います。
言い方や伝え方、思い方、考え方を変えるために、専門的知識を持つひとや経験者に話を聞くこともまた、有効的な方法だと思います。
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