初めて親に手を挙げました。
『カッとなって刺した』
『衝動に駆られて殴った』
そういうニュースを、私はいつも他人事と見ていました。
自分にそういう衝動があるとは、露程も思いませんでした。
止められたなかった衝動
気がつくと、私は父親の顔をぶっていました。
その瞬間、父親のメガネが向かって左に飛んで行き、父親は薄暗い廊下のすみを、見えない水の中を手で探るようにうろたえていました。
私がそれにハッとした瞬間がいつだったのかは、もう覚えていません。
というか、“記憶がない” という言葉が合っています。
心臓が勢いよくバクバクと肋骨を押し上げています。
呼吸もハァハァと、いかに興奮状態だったかということが、外見からでも伺えます。
父親の、メガネを探している様が、あまりにも愚鈍。
私はこの時、初めて自分が 自分の父親に手を挙げた ということに気づいたのだと、今では思います。
喧嘩の原因
父親が、ゴミ箱を置き換えた時に、ゴミ箱が倒れてしまい、中に入っていたゴミが散乱しました。
ゴミ箱自体を乱暴に投げる。
そんな風にゴミ箱を投げなければ、こんな風にゴミは散乱しないでしょう?
という状態です。
あの父親のことだから、 イライラしてゴミ箱を投げた ことは往々にして想像がつきます。
はじめは、母親がゴミの散乱に気づきました。
その時点で母親は、ゴミを散らかした人が 父親 ということは分かっているはずでした。
他にゴミが散乱した状態で放っておく人は、他の家族にはいないからです。
しかし母親は、私に聞いてきたのです。
「このゴミ、どうしたの?」
私はその時、何の事か分からなかった為、その現場を見に行きました。
すると、その光景は、ゴミ箱からゴミが散乱した状態でした。
父親はその時、台所で1人、夕飯を食べていました。
私と父の会話
※確かこんな会話
私「このゴミどうしたの?」
父 首をかしげる
私「このゴミなんでこんななってるかわかる?」
父 首をかしげる
こんな感じで、うちの父親は、まともに会話することができません。
聞いていくうちに、
「じいちゃんが持ってきたゴミ箱を、漬物樽の上に置きっ放しだった。それに腹が立って、ゴミ箱を置き直したらゴミ箱が倒れてゴミが散乱した。」
という回答が返ってきました。
ここまでの話を聞き出すのにも、かなり質問をしなければなりません。
そして会話のキャッチボールができないため、慎重に考えながら言葉を選ぶ必要があります。
私は、
「ゴミ箱を置きっ放しにしたじいちゃんがそもそも悪いけれど、ゴミ箱を移動してゴミが散乱したら、片付けるのが普通のことなのだ」
と父親に聞かせました。
(教えるように話す)
しかし父親は
「うるさい」
の一点張り。
何を話しても「うるさい」。
この時点で、このような会話になることは分かっていました。
そういう父親なので。
すると父親は箸を止め、その場から離れようとしました。
私は引き止めます。
私は単に、父親に理解して欲しかったのです。
父親が悪いわけではない。
ゴミが散乱したら、片付けることが当たり前のこと。
ただそれだけを分かって欲しかったのです。
引き止める私と離れようとする父
初めは言葉で引き止めました。
しかし「うるさい」と言われ「分かった分かった」と空返事をされ、私が引き止める言葉を聞かずにその場から離れようとしようとします。
私は今度は腕を掴んで、両腕で精一杯、父親の腕を掴んで行かせないようにします。
父が行こうとする力に引きずれられる私。
今度は父親の行き先の前に立ち、両腕で父親の体を押して、私の体全体で引き止めようとします。
それでも父親の力の方が上手。
そして押し問答しているうちに、気づいたら父親に手を挙げていました。
父親に言われた「お前が落ち着け」
私「ちょっと落ち着いてよ!!」
父「分かったからお前が落ち着け」
確かに。
私の気持ちが高ぶっています。
落ち着かなくては。
父の言葉で、我にかえりました。
落ち着かなくては…。
そう思って私は「落ち着くから待って」と言って、父の体から距離を置きました。
すると父はやはり、その場から離れて自室に向かおうとしました。
我に返った私がとった行動
私は、仲直りしようと声をかけました。
その言葉を無視して部屋に入ろうとする父。
何度も「悪かった、ごめん」と声をかけて仲直りを計る私。
そんなやりとりをしながら父親が自室の扉を開ける場所まで来てしまいました。
父「わかったから気にするな」
最後はそう言って部屋に入って行きました。
家族だからこそ、仲直りで終わりたい
「気にするな」
いつもなら、表情や行動にその機嫌の悪さが出ているはずです。
父親の顔つきに、怒ったり機嫌が悪いような様子は伺えませんでした。
素直に謝ろうと思いました。
衝動的になってしまったこと、そして手を挙げた事を。
その気持ちを伝えて仲直りをしたかったのです。
母親から聞いた「酷い言葉」
その後、何事もなかったように、他の家族は夕飯を摂りました。
私は当然お腹も空かず、ただひとり、たたずんで涙をこらえていました。
はあッはあッ!!と大きな息を立てながら横を通っていくじいちゃんに煩わしさを感じました。
台所でばあちゃんが、母親に「何があったのか?」と尋ねる声が聞こえます。
そして夕食を摂り終えて私の横を過ぎる時、「びっくりしたね」と声をかけて行きました。
私はどんな表情をしてどんな返答をしたのでしょうか。
順番に、母親が声をかけてきました。
「びっくりしたよ、すごいひどいこと言ってたから」
ひどいこと。
私はもう、何を言っていたのか覚えていません。
だけど、何を言っていたのか聞きたくも、知りたくもありません。
ボケ老人を抱えるということ
家でめんどうみたい。
それは、簡単なことではありません。
どんなに家族が一致団結していても、一人一人が見えないストレスを少しずつ抱えて、気づかないうちに人間が壊れていくことが多くあります。
そしてその関係性も。
私はその現場を見て来た、いち介護スタッフでもあります。
自分たち家族は、そうならないだろうと思っていました。
しかし、家族の中に不和を来す人が1人でもいたら、それはすぐに悪い結果の片鱗を見ることになります。
認知症状のひとつ「忘れる」と「気になる」
今回じいちゃんがやらかしたゴミ箱の置き忘れ。
これには2つの行動が含まれていると考えます。
1つ目は「忘れる」
これは、皆さんがご存知の通り短期記憶がなくなるということです。
今のことを覚えていられないために、ゴミ箱を置いて次の行動を行うと、ゴミ箱のことを忘れるのです。
きっとじいちゃんも、ゴミ箱を置いてから何かして、その次にゴミ箱を片付けようと思ったのでしょう。
しかし忘れてしまい、結果的に置きっ放しになってしまった。
2つ目は「気になる」
執着とも言えますかね。
今じいちゃんは、小さなゴミが気になって仕方ありません。
落ちているゴミ、服についている小さな毛玉、畳のカスなどなど。
拾ってはゴミ箱に入れ流を繰り返しています。
そしてゴミ箱の中がいっぱいになったら捨てにいく。
この行動を1日の中で何度も繰り返しています。
歩くたびにハアハアと声をたて、ただでさえもやかましいのに、何度も同じことをされたら健常者はうっとおしくなってくるのも当然なのです。
私たちが我慢できる限界
健常者が壊れて、家族が崩壊するイメージが湧いてしまうなら、これはもう自宅で面倒なんて看れない。
自分の気持ちの中で、はっきりと『施設入所』という言葉が浮かんで来た出来事でした。
いくら家に置いておきたいと思っても、私は実家で生活していないし、メイン介護者でもありません。
毎日認知症患者と生活している家族にしてみたら、じいちゃんの些細な認知症状が、我慢の限界になることも当然あるのです。
父親を怒ることなんてできません。
塵も積もれば山となる。
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