【体はゆく】

 

 体は「リアルそのもの」と言えるほど、確固たるものではありません。

この一文が、ある意味この本の全てである。各分野の第一人者との対談から、体の摩訶不思議さ、不安定さを炙り出してくる。できるとは一体どういうことなのか?

 

できる=スキル(技能)として筆者はパラドクスを問う。

技能獲得のパラドクス。

①できない⇒できるという変化は既存のやり方は違う方法で実行する必要がある。

②やったことないイメージと体の使い方を表現しなければならない。

③しかしやったことない以上、正しくイメージできない(未体験)。

④故に体はそれを実行できない。

 

これはあくまで意識が完全に体を支配していると仮定した場合のパラドクスとなる。

そこに体のユルさという視点は新たな学習(できる)を保証してくれるという。

そして、その学習は身体内部(単に出力するといった)に限局せず、環境や心理、結果に対する報酬といった要因で強化されていく。そのユルさに信頼を与えてくれるようなものとイメージできる。

 

しかしながら、そのユルさと曖昧さ故、人間の意識に小さくない誤差を生み出す。

このギャップを埋めるもの、信頼を促進させるのがテクノロジーとなる。

もはや身体とテクノロジー(機械)が融合し、合体し、テクノロジーが体を誘導する。先行する。信頼を与えるようになるのだろう。そして意識は後から追いついてくる。ともすれば意識とは何なのか?無意識こそが主体なのか?

可塑性は、変化と同時に固定でもあるという作中の言葉は非常に重要である。

何かができることは意識のロックがかかる状態なのかもしれない。その「できる」を解読してくれた筆者は本当に素晴らしいと思う。

 

できるは結果であり、プロセスは意識できにくいが、これからは「(勝手に)できてしまっていた」という現象も多かれ少なかれ、目にする機会は増えると思われる。

今後メタバースや人工知能が主流となった未来の世界、「非物理的な体」と「できる」の方程式はどのようなものになるのか。それでも記憶がない頃から付き合っている自分の身体を信じたい。

読後、余韻に浸れる本であった。

 

※科学や医学に関連する第一人者の方々との対談が多いですが、門外漢の自分でも分かりやすく読みやすい内容となっていました。お薦めの一冊です。