ビートジェネレーションって知ってる⁉️🤔💦
ビートという言葉、ご存知ですか❓
若い人たちは、聞いた事がないかも知れませんね。
ビートたけしの事ではありませんよ。
でも、たけしさんのビートは、ビートニクからとったという話を聞いた事があります。
1955年10月7日 サンフランシスコの
「シックスギャラリー」での、ポエトリー・リーディングからすべては始まりました。
私が生まれた年の事です。
中心人物は、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダー、ニール・キャサディーなどです。
一番、有名なのは、ジャック・ケルアックだと思います。
「路上」の作者ですから。
この人たちが、次の世代、フラワーチルドレンの生みの親であり、ロック世代を生み出す原点でもあったのです。
詩人のアレン・ギンズバーグと、ボブ・ディランが、ケルアックのお墓参りをした話は有名です。
今日は私が一番大好きな、詩人、ゲイリー・スナイダーの、言霊が宿るメッセージをご紹介しましょう。
1974年に、ノース・ダコタ大学で行われた、インタビューでの発言です。
アレンやぼくや、他の仲間達が、なんらの幻想も混えず、絶対的確信をこめて、
しかも大きなプライドをもって言えることはなにか、っていうと、
それはぼくたちは世界を、おそらく百万分の一インチだけ動かせたってことだろうな
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どうですか、かっこいいでしょう。
百万分の一インチというところが、凄いですね。
たったのそれくらいかも知れないけれど、確かに世界を変える事が出来たという、自身の現れですね。
いつの時代も、若者の力は偉大です❗️
世界を百万分の一インチ動かした、ビートジェネレーションとは、いったいどんなものだったのでしょう
アレン・ギンズバーグたちが1995年にサンフランシスコで開いた、ポエトリー・リーディングの会が、熱狂的に支持されて、
サンフランシスコの詩のルネサンスの引き金となりました。
それが、後にビート・ジェネレーションとして知られるようになった訳です。
「その夜以来、サンフランシスコでは毎週のように誰かのアパートや酒場、あるいはギャラリーで詩の朗読会が開かれるようになった。
私たちはついに壁を破り、新しい表現の自由をはばんできた、大学の支配を打破したことを感じたのであった。
さらに、世界中の多くの知識人の想像力を枯渇させた共産主義と資本主義の、退屈で不毛な論争を超越したことも感じた。
また想像力は信頼できるものであり、
束縛されない精神から流れ出るものが詩であるということだった」
ゲイリー・スナイダーの著書、「惑星の未来を想像する者たちへ」より
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当時、ジャック・ケルアックはジーンズにノート一冊だけを持ち、放浪生活をしていました。
そして、1957年に出版された彼の小説「路上」により、ビートという言葉は一夜にしてアメリカ中に知れ渡ったのです。
ビートの流れは、ロック世代へと受け継がれ、ヒッピー文化などのカウンターカルチャーへと発展していきます。
ラブ&ピース✌️を合言葉に、フラワーチルドレンと呼ばれる若者たちが、各地でコミュニティを形成したり、ネイティブ・アメリカンのリザベーションを訪れて、彼らの文化を吸収したりしていました☮️
残念ながら、行き過ぎたフリーセックスや、ドラッグの使用などで大人たちの反感が昂まり、徐々に自然消滅していったのです😭
愛と平和をスローガンにした、フラワーチルドレンたちのことを歌った反戦歌「花はどこへ行った」という歌が大ヒットしました。
日本でも忌野清志郎さんなどがカバーしています。
花はどこへ行ったの?
遠い昔の物語
花はみんな少女たちが摘んで行ったの?
少女たちはどこへ行ったの?
みんな恋して男の子たちの元へ行ってしまったの?
男の子たちはどこへ行ったの?
みんな兵隊に取られて戦場へ
遠い昔の物語
兵隊たちはどこへ行ったの?
みんな戦死してお墓の中へ
お墓はどこへ行ったの?
朽ち果てたその後に花が咲いていた
……、簡単に要約するとこんな歌詞です。
ベトナム戦争のことを歌った歌ですが、今もウクライナやイスラエルで戦っている兵隊さんたちや、犠牲になった民間人たち、そして何より指導者たちに聴いて欲しい曲です。
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕