宮沢賢治さんのお話しをご紹介します。

賢治さんが25歳の時に、、家業の質屋を継ぐのが嫌で、
父親との宗教的な対立もあり、家出してしまいます。

大正10年の事です。賢治さんは上京しました。

自分の信じる、宗教団体を訪れて、理事に悩みを相談したのです。
文学で、仏教を広めなさい というアドバイスをもらった賢治さんは、
その後、猛烈な勢いで、詩やら童話を創作したのでした。

1日に、100枚のペースで原稿を書いていたそうです。

そんな時に、妹トシが結核で倒れてしまいます。
トランクいっぱいの原稿と一緒に、賢治さんはすぐに帰郷しました。

その後、妹さんは亡くなってしまい、本人も苦労の末、死んでしまいます。

賢治さんの弟、清六さんが、例のトランクの中の原稿を出版社に持ち込みましたが、
まったく相手にされませんでした。
賢治さんの死後、次第に作品が発表されはじめ、何年もしてから有名になったのです。
悲運の画家ゴッホ に似ていますね

でも、彼らはともに、生前は精一杯創作活動をして、幸せだったと思いますよ。

彼らにとって、有名になったりする事よりも、創作活動そのものが
最高の人生を生きることだったはずですから

トランクの中のポケットから出て来た、黒い手帳の中に、
あの有名な「雨ニモマケズ」のメモが
あったのです

では、今日も良い日でありますように

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