今日は



孫皎


を取り上げたいと思います。



孫皎   字は叔朗


孫静の息子で、孫瑜の弟。


はじめ護軍校尉に任じられ、兵2千を預けられました。


曹操がたびたび、濡須・居巣・合肥に繰り出してきたきたときは、


孫皎はそのたびに駆けつけ、曹操につけいる隙を与えず、


精鋭の名を謳われました。


のち征虜将軍となり、程普に代わって、夏口の軍の総指揮に当たり、


215年に黄蓋と兄の孫瑜が死去すると、


彼らの配下の軍も併せて指揮しました。


孫皎は財を軽んじて、よく施し、


広く交友関係を結び、自分の任命した者に親身に世話をしたので、


それらの者は、よく役目を果たしました。


ある時、酒の席で些細なことから、甘寧と大喧嘩になりました。


ある人が甘寧を諌めましたが、甘寧は、


「臣子一例(臣と子は皆同列)というではないか。


征虜は公子であろうとなかろうと、何で人を侮辱していいものか。


私は明主に会えた以上は、力と命を差し出して恩に報いるまでで、


世間の慣わしにしたがって屈することなど出来ない。」


と息巻きました。


これを聞いた孫権は、孫皎に手紙を送って、


「慎み深く身を処し、細やかなことに拘らなければ、


民の上に立つことが出来るし、また人を愛し、


心を広く持てば、多くの人の支持を得られる。


これを忘れては人々を統率することなどできない。


過ちのない人などいないが、


大切なのは過ちを改めることなのだ。」


と反省を促しました。


孫皎はこれを読んで上疏して、陳謝し、


それから甘寧と厚い交わりを結びました。


219年の、荊州争奪戦では呂蒙に従い、


関羽討伐に一役買うも、年内に急死しました。