続きです。


諸葛亮という人は、後世に多大な影響を与えた人物なので、


虚像が作り上げられている部分があります。


しかし、虚の部分を除いた諸葛亮が、


だめな人物ではありません。


諸葛亮は、220年に劉備が皇帝になると、


丞相に就任します。


蜀の宰相となった諸葛亮の政治姿勢は、


公正


でした。


多くの事柄に精通し、建前と事実が一致するか調べ、


嘘偽りは歯牙にもかけなかったと。


なので諸葛亮に処罰された人々も恨むことはなく、


みな諸葛亮を愛していたといいます。


夷陵の戦いに敗れ失意の劉備が223年に亡くなると、

彼は亡き主君の遺志を継ぎ、


魏に対し5回にわたり、北伐を行います。


第一次北伐の際にだした上奏文「出師の表」は、


これを読んで泣かぬものは忠義の士ではない、と言われるほどの名文で、


後世の多くの人に影響をあたえました。


また毎年のように、大軍を動かしても、


蜀の国力は衰えず、人々も厭戦気分にならずにいたことは、


諸葛亮が、優れた政治家であったということをあらわしています。


5回の北伐も、強大な魏を倒すことはならず、


第五次北伐のさなかに、過労のため陣中に没します。


蜀軍が撤退したあとの陣地を見た、敵将司馬懿は、


天下の奇才と評しました。


劉備が今わの際に、


「もし劉禅が補佐するにたる器量なら、補佐してやってほしい。


しかしそうでないなら、君自ら取れ」


といわれながら、あくまで補佐に徹した諸葛亮。


その死は、諸葛亮によって処罰された、


李平や廖立らも嘆かせ、


蜀の民衆は、諸葛亮の廟をつくりその死を悼みました。