日本では諸葛孔明として有名な



諸葛亮


あまりにも有名で、最近では孔明の罠なんて言葉もあるくらいで、


紹介するまでもないところですが、


それでも知らないひともいると思うので、


取り上げておきます。



諸葛亮  字は孔明  琅邪郡陽都県の出身


幼いころに、父親 諸葛珪をなくして、


叔父の諸葛玄に弟の均とともに引き取られ、


劉表のもとに身をよせることになります。


叔父の死後は、荊州で弟と共に、


晴耕雨読の日々を送ります。


このころは自分自身を、管仲(斉の桓公を覇者に導いた宰相)や、


楽毅(燕の名将)になぞらえていて、


周囲の人はこれを認めていませんでしたが、


徐庶と崔州平だけは認めていました。


やがて劉備が荊州にやってくると、


徐庶が劉備の配下となり、徐庶が諸葛亮を推薦しました。


劉備が徐庶に、諸葛亮を呼び寄せるようにいうと、徐庶は、


自分が呼び寄せたぐらいで、やってくる人物ではない、


といい、そこで劉備は諸葛亮のもとに3度訪れ、


やっと迎えることになりました。


このことを 三顧の礼といいます。


そしてその際に諸葛亮がしめした、


呉と同盟して、荊州と益州をとり、華北の曹操に対抗する、


という戦略を 天下三分の計といいます。


諸葛亮の見識に惚れ込んだ劉備は、日々諸葛亮と共に過ごしましたが、


そのさまを見た、関羽と張飛は不機嫌になりました。


ですが劉備は二人に、


諸葛亮を得たのは、魚が水えたのと同じことだと説明して、


以後二人も機嫌を直しました。


このことを 水魚の交わりといいます。


というところで今回はここまでです。