今日は
董襲
を取り上げます。
董襲 字は元代 会稽郡の余ヨウ出身
身長は190cmほどあり、人並みはずれた武力があったといいます。
孫策が会稽郡にやってきたときに、董襲はそれを高遷亭で迎えました。
孫策は、彼に会ってその人物の立派さに感心して、
役所に入ると、彼を門下賊曹に任じました。
当時、山陰ではそこに巣くう賊徒の、黄龍羅と周勃とが徒党千人あまりを集めていました。
孫策はみずからその討伐に乗り出し、董襲はその手で黄龍羅と周勃の首を斬りました。
凱旋した後、別部司馬に任ぜられ、兵士数千人をあずかりました。
やがて揚武都尉に昇進しました。
孫策が逝去したあと、孫権があとをついでゆくことになりましたが、
年若く、太妃(孫堅の夫人)は心配し、
張昭や董襲らを呼び、江東の地を守っていけるだろうかと尋ねました。
董襲は、
江東の地勢は山や川の固めがある上に、孫策から引き継いだ基盤があり、
臣下たちは、身分の高低を問わず役に立とうとしており、
張昭が諸事を取りまとめ、自分たちが軍を率いてことにあたっており、
地の利と人の和を得ているので心配ないといい、
人々は董襲のいうことの、気宇壮大さに感心しました。
208年の黄祖討伐のおりには、黄祖側が、
2隻の船を横に並べて、しゅろの太いロープに石を結んで碇とし、
船を固定し、船の上に千人の兵士を配置して、
そこから弓を乱射していて、呉の軍は進むことができずにいました。
凌統とともに先鋒になっていた董襲は、
しゃにむに進んで、みずから刀でもって2本のロープを切りました。
船は勝手に流れ出してしまい、それに乗じて呉の軍は大挙攻め込んで、
黄祖を斬りました。
祝宴が開かれると、孫権はさかずきを挙げると董襲にいいました。
「今日こうした宴会が開けるのは、碇のロープを切った手柄があったればこそだ」
曹操が濡須に攻め寄せてくると、董襲は孫権にしたがって急遽、
濡須におもむきました。
孫権は董襲に命じて、大型船で濡須口を固めさせました。
夜に暴風雨となり、董襲の大型船は転覆しそうになりました。
側近のものは、快速艇を切り離すと、董襲もこれに乗って脱出してくださいといいましたが、
董襲は腹を立てていいました。
「将軍の任を受けて、賊軍に備えているのに、
どうしてそれを放棄して逃げることができよう。
重ねてそのことを、いうものがあれば斬る」
こういったので、彼の強い意志には逆らおうとするものはいませんでした。
その夜のうちに、船は壊れ、董襲は死亡しました。
孫権は喪服をつけて、彼の葬儀に臨席し、
遺族には手厚い経済援助を行いました。