いつのまにか、客将として出ていたので、



陳武


を取り上げます。




陳武  字は子烈  ロ江郡の松滋出身


孫策が寿春にいたときに、出かけていって拝謁しました。


このとき、年が18で、身長は185cmほどあったようです。


三国志演義では、目が赤い化け物じみた容貌に書かれています。


そのまま孫策のもとに留まり、一緒に長江を渡って、


各地の討伐で手柄をあげて、別部司馬に任ぜられました。


孫策が劉勲を破ると、捕虜の中から精鋭を選りすぐって、


軍団を作って、それを陳武に指揮させました。


この軍団は、向かうところ敵なしだったといいます。


孫権が君主になると、五校尉(首都防衛の機動隊)の目付けに転じました。


彼は、他人に対する思いやりが深く、気前もよかったため、


同郷のものや遠方から流離してきた人たちが、


多数、彼の元に身を寄せました。


また孫権から特別な寵遇を受け、孫権は何度も彼の家を訪れました。


215年に合肥の合戦に参加して、命をまとに奮戦するなかで戦死しました。


孫権はその死を哀惜し、親しくその葬儀に臨席したといいます。