続きです。


のちにカン城の攻略に参加し、城攻めの突撃隊長に任ぜられました。


甘寧は自ら城壁をよじ登って、士卒たちの先頭をきり、


ついに敵を破って、朱光を捕らえました。


この手柄で、折衝将軍に任ぜられました。


また曹操が濡須に、軍を進めてきたときには、


わずか百人での夜襲に成功し、ますます重んじられ、


配下の兵士も2千人を加えられました。


215年の合肥の戦いにおいては、張遼が急襲をかけてきたとき、


リョウ統らとともに、命をまとに戦いました。


そのさい甘寧は大声で、茫然自失の軍楽隊に、


なぜ音楽を鳴らさぬのかと叱りつけ、


その雄々しさは、何ものも犯せぬようであったといいます。


孫権はこの働きをことのほか喜びました。


甘寧は粗暴ですぐ人を殺しましたが、あけっぴろげな性格で、


将来への見通しがたち、物惜しみせず有能な人物を礼遇し、


勇敢な兵士を養い育てることにつとめたので、


彼のために兵士たちも喜んで働きました。


甘寧が死去すると、孫権はその死を痛惜しました。