1日だけ実家に帰った。
実母とは意思の疎通ができなくなって久しい。元々かなり特性の強い、自己中で傍若無人な人。認知症になってそれがますます強くなって、もはや一緒にいること自体が恥ずかしくなって、実家への足も遠のいていた。日によっては一日何度も携帯に電話があり、出ても毎回同じことしか言わないので、仕事中はプライベート用の電話は着信音をオフにしている。こちらからの電話には耳が遠いこともあって出ないことがほとんど。
ひとり暮らしが長くて、今まで自分のことはなんとかできていた。運転免許証を返納してからは、市が発行する高齢者用のタクシーチケットでなんとか買い物や用事をしに外出している。毎週末に1時間かけて独り身の弟が都市部から帰ってきてくれている。
それが今回久しぶりに帰って、かなり状態が危ういと感じた。
ずいぶん痩せてやつれていた。腰が前以上に曲がっていて、歩くのもようやくという感じだった。耳が遠くてTVの音が大音量なのは相変わらずだったが、周りもすべて高齢者ばかりの集合住宅なので、誰にも文句を言われることがないみたい。ご近所もほとんどの人が施設に入ったり、家で寝たきりだったりで、誰にも会うことがない。まるでゴーストタウンのようにひっそりとしている。
母は途中でいろんなことがわからなくなり、オロオロしていた。要介護1が出ていたが、もっと進んでいるようにも感じる。足腰もおぼつかず、いつ転倒してもおかしくない状況。
これは義理の父のときのように、
〈転倒して骨折→入院し寝たきりになり認知症が進む→そのまま特養か医療介護院(療養病棟)へ→高齢者施設はコロナ以降面会の規制が厳しくなっているため、滅多に会えないまま変わり果てた姿で帰って来る〉
ということになりはしないか。
それ以来、街へ出ても高齢者にばかり目が行くようになった。母と同じぐらいの年齢でも、例え腰が曲がって杖やシルバーカーを使用していても、元気な人は元気だ。生活動作には困ってない。
しかし母は見た感じいつも困っている。手順や行動が途中でわからなくなっている。さすがにヤバいと感じた。徘徊やトイレの失敗は今のところないものの、ひとり暮らしはもう無理かもしれないと感じた。
私の家に呼び寄せることも考えた。物理的には大丈夫だ。TV大音量でも田舎なので隣近所に迷惑にもならないし、段差も少ない。しかし生活が変わることで混乱し、認知症が進むことも考えられるし、病院や買い物などに付き添わなくてはいけなくなり、こちらの負担も大きい。
ではそのままいずれ転倒するのを待つしかないのか。
私の考えは、母は嫌がるとは思うが、ケアハウスか認知症対応型のグループホームを検討する。転倒のリスクを減らし、見守りのある中で暮らして、なるべく最期まで寝たきりにならずに大往生してもらう。以前まだ元気なときに、高齢者マンションを検討し、そのときは母はその気になっていたのだが、結局はお金がかなり必要で断念した。結局、高齢者になってもお金がものを言う世界で、一部の富裕層のみが悠々自適な老後を送れるのだと理解した。
幸いなことに、先月弟が地域の認知症カフェにつなげてくれて、そのとき私も初めて担当のケアマネさんにお会いすることができた。弟とは母のことでいろいろトラブルもあったが、今は弟に相談しながら今後のことを考えていきたいと思っている。
とある老々介護経験者の知人に、「〈あと3年〉だと思って介護してあげるといいよ。あと3年しか一緒にいられないと思うと、がんばって見てあげようと思えるよ」と教えてもらった。その言葉が身にしみている。