運気が低下。 | あの頃は若かった

あの頃は若かった

50代半ばの生活や仕事、人間関係について書いています。老化や性のこと、心や精神世界のことなど、現在の課題について考察しています。

仕事もプライベートも安定の私で、メンタルもいつも安定していたはずの私ですが、ここ数日はなんだか運気が下がっているのを感じます。GWなのに遠くの地にいる院生の末っ子は就活を控えて帰省せず、結婚した上の2人も、それぞれのパートナーと過ごすことが多かったり、次女夫婦は仕事もあり、誰も帰省しないことでポッカリと心に穴が空いてしまいました。

 

他県に住む短大のときの友人を頼って遊びに行こうとも思いましたが、新幹線代などでお金がかかり、今月は就活費として末っ子にまとまったお金を送金したいのもあって、結局は行くのをやめて、長いGWの休日を静かに、お金を使わずに過ごすことに決めました。図書館に行ってPCで事務仕事をしたり、今読んでいる本を読了するぐらいの勢いで読みたいと思っています。

 

最近は仕事に追われることも多かったので、GWは少しゆっくりネットサーフィンをしたり、いろいろなブログ記事を読みたいとも思っています。

ブロガーさんの中にはいわゆるカウンセラー的なことを書いておられる方がおられ、今まではそれほど気に留めて読むことはありませんでしたが、たぶん今は心が少し弱っているのでしょう。いろいろ参考にさせていただくことも多くなっています。

 

そんな中「自尊心」という言葉にひっかかり、改めて考えてみたくなりました。きっと今の私、おそらく、自尊心が低下しているのだと。

 

自尊心とは

 

 

「他人からの評価ではなく、自分が自分をどう思うか、感じるか」「ありのままの自己を尊重し、受け入れること」である。定義としては、自分の持っているもの(容姿や財産などのステイタス)や比較、競争ではなく、他人からの評価でもない。自分が有能であるという自信と、自分に価値があるという自尊の2つの要素から成り立っている。その起源には、幼いころに大人から尊重され、価値を認められたか、励まされたかといったことがある。Wikipediaより
自分の人格を大切にする気持ち。また自分の思想や言動などに自信をもち、ほかからの干渉を排除する態度。goo辞書より

 

社会的には自尊心が高くてメンタル安定の私なのに、私の中に拭い去ることのできないコンプレックスと言う名のどろどろとした黒い渦があって、何かの拍子にそれが閉じたはずの縫い目からじわじわと沁み出してくる。

それはときに男女間の人間関係であったりする。今まで感じたことのない嫉妬に苦しむ。持っているもの、持っていないものを数えてしまう。そして「女の敵は女」と言うように、見たこともない得体のしれない者の存在を思い知る。こんなにネガティブな感情をあからさまに見せつけられる関係に、何か意味があるのだろうか。恋愛ではない。ただ相手を一時的に盗み、配偶者を欺き、秘密をもつことへの刺激がやめられない、共犯者の思想そのものではないか。きっと今はその共犯者に裏切られた感じになっているだけなのだろう。

 

無価値感の強い私は、言いたいことも言えず、自分ががまんしていい人を演じることでしか、自尊心を保つことができない。相手の望む虚像を演じることしかできない。自尊心を満たし、対等な男女関係を築いている人が本当にうらやましい。