心をどこかへ置いてきた。 | あの頃は若かった

あの頃は若かった

50代半ばの生活や仕事、人間関係について書いています。老化や性のこと、心や精神世界のことなど、現在の課題について考察しています。

どこの世界も人手不足。

特に福祉業界では慢性的で、学生の確保も難しく、新卒での就職も激減、大手の法人さえ中途採用を募っているが人手不足だと。福祉離れに歯止めがかからない。

特に今いる業界では小規模の事業所が立ち上がっては消える。せっかくいい事業所が立ち上がっても、存続が難しい。小規模なゆえに密室化で風通しが悪くなり、人間関係で辞めていく人が多いのが事実。

 

今まで20年以上従来型での現場仕事でシフト制、チーム仕事でやってきた私。そこには必ず強者と弱者がいて、私は強者の刃が自分に向かって来ないように、変幻自在に自分を変えて徹底的に強者に合わせていくしかなかった。それが私の処世術だった。イヤなこともあったけど、子育てしながらフルタイム正職で働くにはそうするしかなかったし、逆に、だからこそがまんできたのだと思う。私は攻撃的な人の標的になりやすく、言い返したり口論ができないので、常に言われっぱなしでイヤな思いをしてきた。ただ人とケンカしたり、険悪な関係になったりしたことは一度もないし、人を傷つけてしまったこともそんなにないだろうと思う(たぶん)。体力的にきつかったり、上から差別的な扱いを受けて辞めたことはあるけど、直接職場の人間関係がイヤで辞めたことはないと思う。仕事は遂行するものだから、いやなことをがまんすることも必要だし、どこかで助けたり助けられたりすることは必ず出てくる。お給料はがまん代でもある。

 

 

今は基本的にはチーム仕事ではないので、人間関係の悩みは減るかと思ったが、やっぱり人間関係なんだなあと思う。どこへ行っても人間関係からは逃れられない。

みんなそれぞれの背景があり、ひとりひとりに「気持ち」があり、いろんなことを思いながら仕事をしている。ときにはネガティブになることも、思い通りにならなくてイライラすることもあるだろう。

 

 

子どもの頃は「学校」で、学校を卒業したら「会社」がある。人間は社会性の動物だと言われているけど、どんなに個人的な仕事でも、人間関係は必ず存在する。社会の半分はいつもジコチュウ(自己中)な人で回っていて、あとの半分は困惑し迷惑被り、ふりまわされてマウント取られながら、愚痴を言うしかないのかもしれない。ジコチュウは辞めずにお局となり、居心地がよいからずっと居座る。そして新しく入った職員をいじめて辞めさせる、そのくり返し。

 

 

「技術や経験がものを言う」職場は、パワハラが起きやすいと思う。技術や経験は、それを習おうとする者にとっては「教えてもらう」という立場になる。教える方に優位性が出てきて、当たり前なのにそれが「偉い」と勘違いしてしまう。パワハラと指導の違いを誰もが知る必要がある(厚生労働省のHPにも資料がある)。

知識や技術を取得し、職場のルールや雰囲気に慣れるまでには3か月~半年以上はかかると思う。その間長い目で見れない職場は人が定着しないだろうと思う。

 

 

私は無謀にも飛び込んだ職場で、幸いにも受け入れてもらうことができた。仕事はやりがいをもってやる。だけど人間関係に必要以上に心をかけたくない。なんだかイライラしている人や、承認欲求強めでいつも気にかけてほしいオーラを出している人がいても、あえて自分がなんとかしようと思わない。自分の問題にしない。意味もなく「すみません」言わない。そうしないとこちらが依存されたり八つ当たりされたりすることは、長い社会人経験でわかっている。もちろん、10中3回ぐらいは適当にかかわるけれど。特定の人との「仲良しアピール」はしない。親しくなりすぎると感情が動いてしまう。いつもフラットでいたいと思う。親しみを持つ人には1対1になったときに、少し深い話をする。

 

 

私って優しくないなあと思うけれど、今は自分の身を守ることが大切。

「職場に〈心〉は持ってこなくてもいい」って本気で思っている。

私の心、一体どこへ置いてきてしまったのか。

 

 

子どもたちの職場環境や異動、昇進。末っ子の大学院での実習、そして身近に迫った就活などの話を聞き、自分の経験もふまえて少し考えてしまったのだった。