不安がつなぎとめるもの | あの頃は若かった

あの頃は若かった

50代半ばの生活や仕事、人間関係について書いています。老化や性のこと、心や精神世界のことなど、現在の課題について考察しています。

私とPさんをつないでいたものは、「不安」そのものでした。

人は不安になると、なんとか「安心したい」と思っていろいろ対策を講じる。

例えば、LINEの未読。リスケなどですぐに返事がほしいときに夜まで放置だったり、何気ない会話やスタンプで数日も放置されたりすると、人は誰しも不安になる。意図的にやっているのか、本当に気付かないのか知らない。もしかしたらブロックされているのかもしれない。それとも「もうこれ以上送って来るな」のサインなのかもしれない。LINEの機能は、不安要素の強い人との恋愛に使うときっと病む。

 

今度いつ会えるのか、そもそもまた会えるのか、次の約束がないからいつも「これで最後なんじゃないか」と思って不安になる。相手の家族も仕事も何も情報をもらえないから、イメージができずにいろいろな妄想がふくらみ不安になる。

 

私がPさんとの関係で大きく揺さぶられていたのは、この「不安を解消したい」という気持ちが強く働いていたからだ。

5月の長い連休が終わって、私が心の中で望んでいたことは・・・

 

①連休が明けたらすぐに連絡がほしい→暦通りの休みだということはわかっていたから、ここで連絡がないと本当に忘れられているとしか思えない。会うときしか連絡しない私たちだけど、せっかく秘密で連絡するツールがあるのだから、それを使わないテはない。

 

②一度だけでいいから私の機嫌をとってほしい→今回は本当に堪えた。こういう立場なのだから当たり前なのだけど、今回だけは気遣いや慰めの言葉がほしかった。

 

そしてどちらも叶えられた。しかし、私は休み中に気持ちがずいぶん萎えてしまっていたので手放しでは喜べず、もう別れを覚悟して会った。

 

そういうときに限ってPさんは自慢の高級車で来る。いつもはセカンドカーの軽バンなのに。ずるくない?そんなんで私の気持ちが変わるわけないのに。それに週末おでかけを企画してくれた。一度だけ、私が行きたいと話したところ(水族館)に行くことになった。その場所では、Pさんもとても楽しんでくれて、おもしろがってくれた。すごくいい思い出ができた。

「今日は『○○○(Pさんだけが呼ぶ私の呼び名)day』だね」「半年にいっぺんでいいから○○○dayがほしいな」と言えた。そうだ、いつもじゃなくていい、ときどき半年に一度でも楽しいことを共有できれば、私の心は満たされるのだ。それは「(近場に)ソフトクリームを食べに行く」でもなんでもいいのだ。

 

私とPさんの逢瀬は「部活」とか「研修」という名目だったから、このたび「引退」と「卒業」を申し出たのだが、どちらも却下された。本当にただの遊びなんだ。それに愛情もお金もかけてくれないのに、どうしてこんなにエネルギーが満ちてくるのだろう。きっと、もうどちらにとっても「最後のチャンス」だからなのかもしれない。こんなふうに関係性をもって逢瀬ができるのは、お互いの人生で最後なのだと思う。

 

そして、どうせまた不安にさせられるのだけど、安心感なんてきっと得られないのだけど、それでも少しずつ私を知ってくれているのではないかと思う。いくら富裕層でお金があったところで、風俗で新たな嬢を買ったところで、Pさんの体や性癖をこれほどに知っていて楽しませてあげられるのは私しかいないし、その逆もありきだ。たとえ『肉○○』扱いだとしても、私が楽しいと感じられるうちは相手から何らかのエネルギーをもらっているのだろう。

 

初老のアダムとイブはまだもう少し健在でいられそうである。

前回読んでくださった方にはご心配をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。

私の気持ちも、好きなのか、不安のせいなのか、本当にわからないです。