アウトドアヴィレッジ発光路の森フィッシングエリア Part1
「自然」を感じられる釣り場を目指して。
「アウトドアヴィレッジ発光路の森フィッシングエリア」
オーナー 斎藤武彦
東北自動車道の栃木ICから、粕尾峠方面へ車で約40分。美しい清流を眼下に、緑豊かな山道を抜けると、趣のある大きなログハウスが現れる。心に火が灯るようなぬくもりを感じるそれは、周りを囲む豊かな自然とマッチして、何とも良い雰囲気をかもし出している。ここが栃木県の人気エリア「アウトドアヴィレッジ発光路の森フィッシングエリア」(以下、発光路)だ。
場内に一歩足を踏み入れると、木々の息吹が聞こえてきそうなほどに、とっても静か。広大な敷地の中には、美しく整備された4つのポンドが存在する。それも、ポンドそれぞれがテーマ分けされているというのだから、実にユニーク。こんな個性的な釣り場を作った人って、一体どんな方なのだろう? そして、エリア激戦区の栃木県の中でも、屈指の人気を誇っているそのヒミツは何? 是非とも詳しいお話を伺ってみたいという衝動に駆られた私。そこで、今回は、発光路のオーナー、斎藤武彦さんにインタビューを行った。
1953年生まれの斎藤さんは、現在55歳。生まれも育ちも、釣り場のある栃木県は
「小さい頃は、滝で遊んだり、キャンプをしたり、また、近くの川で釣りをしていましたね」。
そう語るように、幼い時分の遊びと言ったら、やはりその恵まれた豊かな自然を相手にしたものばかり。これらの経験が、やがて釣り場作りに反映してくるとは、思いもしていなかったであろう。だが、しかし。斎藤さんは、意外にも幼少の頃から釣りにどっぷりと浸かりこんでいった訳ではない、という。遊びのひとつとして、少々たしなんでいた程度。では、なぜ釣り場を?
「うちは、もともと林業なんですよ。それで、自分の山で採れた木材を使って商売できる、ログハウスメーカーを立ち上げたんです。
10年ほど前までは、年間3~40棟も作っていたんですけど、だんだん不景気になっちゃって」。
先祖の代から、それもうん百年という長い間受け継がれてきた林業。それを受け継ぐことになった斎藤さんだが、釣り場経営に至るまでには、こんな経緯がある。
大学へ通うため、地元の鹿沼市を一度離れていた斎藤さん。20歳の頃、お爺様がお亡くなりになったことをキッカケに、お父様と一緒に林業の仕事をすることを決断。通っていた大学を辞め、実家に戻った。時は経ち、28歳になった頃、ご不幸にもお父様が他界する。そこで、斎藤社長はある決断を下すに至る。
「材木の価値というのは、自分では上げられないんです。買い手があって、初めて金額が決まるわけですよ。利益を上げるためには、経費を安くするしかない。それには、伐採した木材を山から簡単に下ろすのが第一義。これを考えたときに、光が射したんですよ。自分の手で搬出できる林道を作ればいいってね」。
これまでは、専門業者に依頼していた仕事を、自分の手でできるようになれば、その分の経費がなくなり、利益が上がるのは当然だ。しかし、それには、まず大型の重機が幾つも必要になってくる。林業というのは会社ではないため、それらの機械を購入することになると、経費で落とすことができない。そこでだ。会社を設立。斎藤さん、30歳の時である。
重機に関するノウハウは、ほとんどゼロ。だのに、重機を手に入れると、すぐに山へ持ってゆき実践。木々に覆われた山中に、林道を切り開いてしまう。何でも、個人で林道を作ってしまったのは、栃木県の中でも斎藤さんが初めてなんだとか。「不安は何もなかったですね」と、楽しげに破顔して、あっけらかんと言ってのけてしまう、その前向きでアグレッシブなチャレンジ精神には頭が下がり、驚きのあまり言葉を失った。ただ者ではない。しかし、お話を伺ってゆくうちに、この驚愕など、まだまだ序章にすぎなかったことを思い知らされることとなる。
当時、会社の事務所として使えるような建物がなかったため、自分の山で採れた材木を利用できる、ログハウスを建てようと思い立つ。建設予定地は、日光からのお客さんが利用する道路沿い。だったら、何か商売もできるんじゃないかと考えたのが、ログハウスを建設しての喫茶店経営だった。それが、釣り場近くにある「発光路の森コーヒーハウス」である。
「できっこない」。そう周りの人間から笑われたこともあったという。そりゃそうだ。当時、ログハウスに関しての知識だって、もちろんゼロ。設計から建て方に至るまで、何もかも知らないそんな人間が、ログハウスを建てるというのだから、周りの目にも酔狂の沙汰と映ったのは当然のことだろう。だが、中断期間を挟んだとはいえ、100平方mのログハウスを、3年で完成させてしまったのだから、これはスゴイ。それも、全てがオリジナルだというから、度肝を抜かれる。
初めてのログハウス作りをキッカケに、続いて貸し別荘用のログハウスを作り上げると、やがて友人たちからの注文が入るようになる。と同時に、商売も軌道に乗り始めた。木材だったら自分の山にある。それならば、ログハウス作りを商売としてやってみよう、ということになったのだ。しかし、時代の変遷とともに、やがて世の中は不況に。
「そんな訳で、ログハウスメーカーは5年ほど前に辞めてしまったんです。若い時分からアウトドア関係が好きだったというのと、また、ここは山の中ですから、山でできる何か良い仕事はないかと考えましてね。
初めは、キャンプ場をやろうと思ったんですが、この辺りは観光するような場所がそれほどないんですよ。そうすると、キャンプだけをしに来てくれる方っていうのは、なかなか少ないんじゃないかと思いましてね。それで、自分も釣りが好きだし、管理釣り場をやってみようと」。
平成10年、こうして発光路が産声を上げた。
Part2に続く…
※上記の文章は、2008年3月に発売された「Fishing Area News vol.30」
に掲載されたものに、加筆したものです。
写真=加藤康一・Freewheel Inc.