「いまから、こちらを出ます。ナビによれば到着はこのくらいの時間になりそう」
「気をつけて、安全運転で」
反射するようなタイミングで返信が返ってくる
「僕を待たせるとか思わなくていいから。事故のないように」
この数日の間、何度も何度も言われた
わかってる でも
雅治はいつも、待ち合わせ場所には先に来ている
背の高い後姿を思い出す
足元に伸びる長い影も
コーヒーと、お茶と
眠気覚ましのガムは持った
もう、少し呼吸が浅い
「大丈夫。何度も通った道」
ひとりごとをつぶやき、ハンドルを握る
何か良くないことが絶対起こりそうな気がする
根拠なく心の奥から聞こえてくる言葉を真に受けると
動けなくなる
立ち止まってしまえば
この先ずっと、さらに長く動けなくなる
歪んだ思考を、断ち切らないと
大学で学んだ認知行動療法のひとつに、暴露療法(エクスポージャー療法)というのがあって
・・・食物アレルギーの強い患者さんに、あえてその食物を少しずつ口にさせて平衡点を探り、徐々にアレルギーが出なくなるように身体を慣れさせる「アレルゲン免疫療法」に似た、と言えばわかりやすいかな
怖いと感じる行動を小さくレベル分解して、徐々にクリアしていき、感じている「怖さ」は怖くないと認識させる、自分の間違った思い込み(認知のゆがみ)を修正していくというもので
例えば
電車に乗れないという状況の人に
①家から出てみる
②駅の近くまで行ってみる
③改札を通ってみる
④乗るための列に並んでみる
⑤車両に乗って、すぐ降りる
⑥車両に乗って、次の駅まで行ってみる
みたいに小さなステップで経験させ、克服に導くというもの
三歩すすんで二歩下がるみたいなことは当たりまえ、もっと恐怖感が増す場合もあるだろうし、セラピスト(治療者)とクライエント(患者)の信頼関係のもとでひとつひとつクリアしていく、とあったけれど
治療者は患者にとって神にもなりゃ鬼にもなる状況じゃないかと、想像しドキドキした。
でも、間違った思い込みを是正していく手段のひとつ、というところはとても興味深く印象に残っていて
ふと、これをやってみようか、と
そして
セラピストとクライエント
両方の役割を、自分一人で行なうことは可能だろうか
と
言わば、セルフ・エクスポージャー法
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