「どうして僕なの?sanaの過去の人たちみたいに、僕はsanaの心を読むことが上手じゃない」
「先生」を脱ぎ捨てた雅治に言われた。
26年目の遠距離婚外で、私達はまだそんなところをためらい、手探りしている。
「心を読むことが上手じゃない」
心を読む。心を読まれる。私がそこに注目しその正答率が「理解されている証」だと思っていたのが、雅治にネガティブに伝わっていたのだろうと思う。
喧嘩になる時や、伝えたい意図が伝わらないとか。
言葉や想いのかけ違いは枝葉を取り上げるから起こりやすくなる。好きという根本が食い違ってないなら、混乱を招く事は言わないほうがいい。ネガティブな音は残るから、記憶に。
・・・これは事務局長との時間の中では気づけなかった。痛感し、反省して、理解したこと。
逢ってケンカの種を投げつける時間があるなら、抱いてって言ったほうがよっぽど(笑)
年イチあるかないかの数時間をイライラで無駄にするなんてナンセンス、時間は無限じゃない。
相手がわかる、読める、なんて何をもって言えるのだろう。
相手がわからない、読めない、なんて何が足らなくてそう思うのだろう。
ただ、雅治はこうなのかな、こう思うのかなと推測と言うか、考えたりはする。
雅治には、透明なフェイスシールドみたいに無意識に自分と他者を少し隔てようとするクセがあるんじゃないかなと思う。他者と自己をごっちゃに考えない、という風にも言えるのかな。
隔てようとする・・・というと強すぎるか。石橋を叩く秘密主義者は色々と自分に介入されることをあまり好まない。それゆえ他者への興味や感情を強くは表現しようとしない(ような気がする
ポーカーフェイスなのに相手をよく見ていることはふとした時に解る。相手への配慮や理解があるから出る答え、それを見せようとせず、逆にちょっとごまかしたりする。
照れからでしょうね、だから余計混乱する。思ってもいなかった雅治の本音。それを聞き、そんなこと考えていたのと今までに何度驚かされたことか。
冷たいのかと言うと決してそうじゃない。雅治が揺れ惑うポイントは自分のことじゃなく、大事な人への悲しみややりきれなさで冷静になりきれなくなった時だというのを、私は以前見て知ってる。
雅治の放つ静けさ、それは相手を尊重しながらの気遣いから生まれるのだろうなと。
北風と太陽。
事務局長は「太陽になりきれなかった北風」
私もまた彼にとってそうだったと思う。
雅治は最初から「太陽」だった。
ただ、ギラギラと照りつけ旅人のコートを一気に脱がすようではなく
やがて吹く涼やかな風を待つ、木漏れ日だ
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