いつもは | 水底の月

水底の月

恋の時は30年になりました 

「あー、暑かった」

 

私の顔をちらりと見ながら、くっとワイシャツの襟元に手をやるとシュッとネクタイを外す。

見てましたよ、見てましたとも。車に乗った時に一番先に確認しましたってば。

 

 

「この時期、ホントはノーネクタイですか?」

 

「そう。いつも、はネクタイしてないの。暑い」

 

 

どうしてネクタイ、どうしても、のネクタイ。

私といる時はプレゼントしたネクタイを結んで見せて。以前からの小さな約束を今回もきちんと守ってくれていた。青いネクタイが揺れたワイシャツ。さっきも顔を見た瞬間に思わず目が追った。

 

この部屋でシャッと結んでくれても良かったのに・・と思いながら、でもきっと車に乗り込んだ時に私がまずネクタイを見ると思ったんだろうなとも思い直し、ほんのりと嬉しくなる。
日常に忙殺され、非日常の心地よさを忘れかけてもう離れてしまおうと思った数年間、その間も必ず先生からの「お誕生日おめでとう」のメッセージは届いた。

約束は忘れていない、僕のほうからは手を離さない、そんな気遣いを忘れずにするひと。

 

きちんと見てた?とでも言いたげな表情に思わず笑みがこぼれる。

 

 

「もう少し幅広のネクタイのほうが良かったかな」

 

「結び目は小さめにするほうだけど、大きいほうがいい?」

 

「結び目もですけど、ネクタイ自体の幅がもう少し広いほうがカッコいいのかな、と」

 

 

知的な色気はネクタイに出る。襟元で表情が変わって見える。

だからつい、次に見たい理想を言ってしまう。

 

 

 

見たいとお願いした先生の研究室、本棚には懐かしい教科書の類や手に取る機会すら無かった書籍が並んでいた。

 

そんな書籍たちは、学生時代の時間を思い出させる。

 

「試験前に質問に来る学生はいるけど、どうやらあなたはホントにわかってないみたいですね」なんて苦笑されながら紡がれる時間は、通訳がいるんじゃないかと思うほどに解らないことも多かったけど、それらを少しずつ掘りながら理解できた瞬間の楽しさは格別で。

 

少しずつ、本当にもう思い出にしようとしている過去の時間を懐かしく思い出す。

私を支えてきた「昔の思い出」という魔法は、数ヶ月の自身の葛藤の中で少しずつ溶け始めていた。過去よりも静かに見つめていきたいのは今の時間。凪いだ心はそう告げている。

 

 

窓越しの景色を眺めた。

先生がいつも眺めるこの景色は20年以上経っても昔とは大きく変わらず、私の記憶の中の時間にリンクする。

 

 

 

「建物自体が高さがあるからね、眺めはいい。変わらないでしょここから見る風景は」

 

 

 

そんな景色を、そっとスマホを構えて切り取った。

 

 

「撮るほどの景色じゃないでしょうに。こんな当たり前の」

パシャリ、という音に振り返って、笑っているのがわかった。

 

 

 

 

1枚。

お互いの写真など1枚もないスマホの中に、

1枚くらい先生が見ているものと同じものを共有したくなる。

 

 

 

言ったら笑うだろうなと思いながらスマホをテーブルの上に置いた。

 

 

 

 


 

 

 

 


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