気づきの記録 22 | 魂の声を聴く 本当の自分で生きる

魂の声を聴く 本当の自分で生きる

遊ぶように楽しく過ごす
なんでも遊び、なんでも楽しめる
そんな生き方を授けられた人間の日常

見方を変えれば楽しめることは必ずある
無理矢理ポジティブではなく、ピッタリの着地点を見つけて
発展していく生き方を実践しています

 

こんばんは

しんどうりょうこです。

 

 

前回、感情の向きについて書いたことで

 

じゃあ、他の恐れとか苦手とか

自分で感じている感情はどうなんだろう

 

って考えてみて、ちょっと掴めた気がしてます。

 

 

 

 

 

不快になるときは、自分が主体ではないとき。

 

誰かの決めたルールに自分を押し込んでいる時。

窮屈さを感じている時。

 

 

 

ルールがあっても、自分にとってはないようなものであれば問題なくて。

窮屈さが、不快につながっている。

 

 

 

じゃあ、なぜその窮屈なルールで生きるのか?

そこを抜ければ良いだけなのに

守らなければならないと思い込んでいる。

 

 

どうして?

 

社会がそうだとしても、大多数がそうだとしても

それで自分が不幸なのならば

自分の声を聞いてあげたら良いんじゃない?

 

 

 

 

 

 

と、いうのはですね。

 

私はずーっと時間に縛られるのも振り回されるのもきらいなんですよ。

 

でも、「時計」っていうものができて「時間」って良いう概念もあって

みんなそれに沿って生きているし、それがあるから約束もできる。

 

 

「悪」ではない

 

「使い方」を自分が作り上げているならば楽しいし、縛られている意識もない。

 

 

自分の感覚に反して『しなければならない』と思い込んでいるものが発生すると

自分の意思で動いているにも関わらずやらされている感が満載になります。

 

 

 

 

 

 

 

社会のルールに合わせて『しなければならない』と思っているのならば、それを手放して

 

大多数に合わせることよりも、自分の感覚を信じて行動をしていけば

 

不快ではなくなるはず。

 

 

 

 

全ての物事を自分主体にする

そうすると、「やらされている」ではなくなるし

歪みも発生しなくなる。

 

 

 

誰かの決めたしたくないことをする

やらされていると感じる

不快だけど我慢

歪み発生

痛みや身体の不調の症状発生

 

 

どの時点でも、休む・やめる・逃げるの選択肢はあるのに

それをしてはいけない、とも思い込まされている。

 

 

日本の国中で集団催眠にでもあっていたのかな。

戦後とかね。

 

 

 

もう、目が覚めても死なないよね。きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

これをね。「時間」と書いたけど

「お金」にも置き換えられるな、と気づいたの。

 

 

 

払わされているんじゃないのよ。

 

 

望んだものを手にするために交換しているの。

 

 

 

税金も心地よく生活するために支払いしているし

生活インフラも整えてもらっている

 

 

 

 

 

 

 

 

「全ての物事を自分の意思で行なっている」

 

という目線に置けば

「不快」なんてことは起こりようもなかったのよね。

 

不快を感じているのであれば

その状態を許している自分がいるというだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは病気にもなるし自分がかわいそう。

 

 

 

 

 

ということで。

 

今日は疲れていたので会社を休んで神社仏閣を回ってHPとMPの回復に勤しんでおりました。

 

 

良い天気でいい1日でした昇天

 

 

 

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